2013年1月20日日曜日

私がリンク(右下)していた早川日記さんが先週亡くなりました。 私は顔見知りではありませんが、新幹線で名古屋から福島にかけつけた早川さんの活躍についてはよく聞いています。なにがあったのか分かりませんが、「頑張りすぎていたんじゃないか」との声も聞きます。震災から1年10カ月、支援のボランティアは精神的にも経済的にも疲れ果てているのではないでしょうか。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。(山際)

早川さんがリーダーだった福島・飯館村で給餌活動をしていたボランティアグループ『ちーむぼんぼん』です。リーダーの突然の死で、メンバーは里親募集をしていた犬猫を引き取ったり、医療費を支払ったりと事後処理に追われているようです。それでも残されたメンバーで今後とも地道な活動を続ける決心のようです。可能な範囲でみなさんの応援をお願いします。
http://ameblo.jp/michikomeri/

2013年1月1日火曜日


散歩するといろんなものをつけてきます。

平成25年元旦 柘植裕子(福島市動物病院)

○いまだに続く支援

○餌は飯館村等に配給

○ゴン太は元気

○飼い主の帰還はまだ先

○日本は素晴らしい!

 


 ご無沙汰しておりました。あけましておめでとうございます。このサイト経由の支援がいまだに続いております。2年にもなり申し訳ない気持ちでおりますが、実は、とても有難いのです。圏内に持っていく餌は、相模原のNさんとOさんの方へ届いていますが、私の所へ来るものは、飯館村と保護した動物を預かって下さっている方にも配ります。1か所で平均10頭お世話になっていますので餌代の足しになります。
 心より感謝しております。
 先日、飯館の封鎖になった手前の山間に行きました。そこは、15匹の猫と3頭の犬を半年かけて捕獲した所です。牛舎に入って腰を抜かさんばかりでした。ネズミの大群と、逃げた後には山盛りのネズミの糞・・・猫を捕まえるために行っていた頃は、ネズミの糞一つ落ちていませんでした。そこにいた猫達がどれ程の働きをしていたのかがわかりました。とすると、帰村する頃には、猫のいない所はどうなるのでしょうね?しかし、雪で真っ白な氷点下の所には、なるべく帰したくないのです。やはり、家畜は、人間と共存してからこその存在でしょうか。
 ごん太は元気でうちにいます。ごん太の飼い主さんがいた楢葉町は避難指示解除準備区域で、除染、その他帰還の準備が急ピッチで行われていますが、飼い主さんの生業だった畜産の見通しも立たず、帰還はまだまだ先のようです。
 話は変わりますが、先日、北朝鮮の遺骨収集と、清津会の墓参団を組織したK氏(めぐみちゃんの娘の写真を初めて日本に持ち帰った方)から電話をもらいました。年が明けたら福島に来るそうです。用向きは、わかりません。アジアプレスの石丸さんが恵山で隠し撮りをした映像を先日見ましたが、しばらくは、いなくなったコッチェビ(浮浪児)がまた増えていました。
 路傍には、亡くなって数日たつ幼児の遺骸が転がっていました。誰にも関心を持たれずに死んでいく子供に胸が詰まりました。どんなに心細く、ひもじく、悲しかったか・・福島のような被災地で、とは言っても、ご飯もたっぷりいただき、暖かい炬燵に足を突っ込んでいますのに、動物に対しての支援でさえ暖かいカードが添えられ、毎たび「こんなことしか出来ずにごめんなさい」とおっしゃられる方々・・単に余裕がある、と言う様な話ではなく、思いやり、人の悲しみを共有出来る徳が日本人には備わっているような気がしています。
 政治がどうあれ、人の質だけは、どの国にも負けない!と思いますが?また、日本に生まれてきたいと思っています。  
感謝を込めて。 

2012年4月7日土曜日

ごん太」 Who?

「ごん太」近影

 

 平成24年7月28日 柘植裕子(福島市動物病院)

○住居に戻れぬ避難民

○行くたびに朽ち果てる避難区域

○新入りの「じっち」は静かに息を引き取った。

○犬猫放置のまま帰宅困難地域に再編された飯館村長泥地区

○可能な限り救援してるが、今から冬が心配

○ゴン太は元気


昨年の3月11日、震災一時間後には、猛吹雪が始まり、家から逃げ出した犬達が道路や公園に屯し、それを心配した親切な(お節介な・・)犬好きたちが病院に搬入してきました。おそらく自分たちの家もメチャクチャだったろうし、電気水道ガスのすべてが止まり、どう一夜を過ごそうかというさ中にです。私の自宅も住めるような状況ではなく、大分長いあいだ、病院で動物達と一緒にすごしましたが、当日の動物達の様子は、怯え、ふるえ、食欲もなく鳴くばかりでした。地震直後に家を飛び出した多くの猫たちは、大半がいまだに戻ってきません。一体どこへ消えてしまったのか?
 あれから一年もたち、表向きは通常の生活を取り戻したかのようにみえますが、多くの原発圏内からの避難民は、そこここの仮設、借り上げに住まい、先の見通しは立っていないのです。
瓦礫や除染土の仮置き場すら決まらない所ばかりで、復興の進捗は感じられません。動物達の給餌や保護で圏内や飯館に入ると、錆びついた車や農機具が放置され、道路に蔦が這い、畑の、異常に育った蕨の太さにジュラシックパークを思いだし背筋が寒くなります。犬かと思えば狐、トンビだと思ったら鷹、目の前でキジバトをくわえた猫が鷹に鷲づかみにされたことも。避難者の方々も、最近は、一時帰宅で戻れば、行くたびに朽ち果てていく風景に気持ちがふさぎ、かえって行かない方が精神的に楽だと言う方もいます。
ただし、飯館に関しては、未だに動物を置いてきているため帰らなくてはなりません。そのような動物が多く残された長泥地区が17日をさかいに帰宅困難区域に再編され、6箇所のバリケードで封鎖されてしまいました。住民と一緒でなければ給餌のボランティアが入れないのです。どうなるのか?里親が見つかった動物は数少なく、今年の冬を今から心配しています。長泥は、桜、つつじ、あじさい・・と季節ごとの花が咲き乱れる桃源郷です。自分たちで開墾してきたため、住民の土地への思いは大きく、出なければならないことが分かっていても草刈や桜の剪定や植樹によねんがありません。くじけないで淡々と作業をする村の人々には、必ず戻りたいという思いが感じられ、鼻の奥がツーンとしてしまいました。東電の会長、社長、社員に見てもらいたい風景でしたが・・・・・
2012年7月5日に国会事故調査委員会報告書が発表されました。同報告書では、自然災害を起因とする過酷事故に対する備えが脆弱であることを知りながら、耐震補強工事は進められず、東電社内では、いつしか2016年1月まで先送りされていたことが明確に書かれていました。福島原発事故は人災によって発生したとしています。 人災であったとすれば、あれ程の地震津波でも、今後は、「人の力で原発の事故は防ぐことが出来る」というロジックが成り立つのです。そうなると、原発を稼働したい側からは、防ぐことができるのだから、今後の稼働は安全に出来る、ということになります。しかし、事故さえ起こさなければ稼動に賛成できるか?といえばやはりNO!です。
  東京電力の下河辺和彦会長と広瀬直己社長は7月4日、就任後初めて福島第1、第2の両原発を視察、その後の報道陣の取材に対し、第2原発の廃炉について「今は全くの未定」と語った。 東電の経営トップ2人が廃炉を明言しなかったことについては、様々な理由があるのでしょうが、ここに住む当事者としては、とても許しがたい気持ちでいます。事故直後も、当時の清水正孝社長が、「福島第一原発は、廃炉にせざるを得ない」と、あたかも廃炉を未練がましく語り、はらわたが煮えくり返る思いをしました。この一年、福島県民が経験した辛さは簡単に語ることはできません。事故を起こした炉の廃炉の工程計画もなく、生活基盤は、完全に崩壊したままでいます。

と、ここまで書いて、一週間放置したままになりました。とめどもなく、東電に恨み辛みを書き続けそうで面倒になってしまったのです。今さら書いても東電が反省するでなし、「暖簾に腕押し」です。何を言っても、この現状を受け入れるしかないのが現実です。この福島の瓦礫と11417本の未使用、使用済み燃料棒を引き受けるところはないのです。今、生きる現実にもどります。
じっちは、5月17日の未明にひっそりと息をひきとりました。前日に食べたものを吐き、自力で立ち上がることが出来なくなって間もなくでした。じっちの保護された小高(南相馬市)は、まだ荒れ放題です。地震からの4か月をどう生きてきたのか・・・認知症のようで食べ物や人の判別もよくできませんでしたが、陽だまりで頭を撫でていると、私の膝にアゴをのせ目を細めて気持ちよさそうにしていました。最後を看取れて私も満足でした。その間、支援の物資や励ましの手紙と皆様には、とても感謝しております。ありがとうございました。
 今は、保護した猫達のほとんどがエイズ、白血病、伝染性腹膜炎のキャリアで、その半数が発病状態で連日の治療に忙殺されています。院内で感染するために新たな保護が出来ない状態です。また、あっという間に冬が到来すれば、新たに生まれた子犬子猫にも厳しい試練が待っています。続けられるかぎりは保護していくつもりですが終わりはみえません。継続的に支援をして下さる皆様には、本当に感謝しておりますが、いつまでも甘えても申し訳なく、なるべく自力で頑張っていくつもりです。本当にありがとうございました。
 ごん太は、相変わらず元気にしています。最近、いただいたお布団で、大の字になって昼寝をしております。飼い主さんは、いまだに楢葉に戻れず、ごん太は、入院室の牢名主の地位を確固たるものにしました。(新入りの面倒は、あまりみていない?)
2012年728


4月29日 柘植裕子 (福島市の動物病院)

〇飯舘村の母親犬と息子ワンを救出
〇福島市の里親に預ける
 
 今日は、久しぶりに良いことがありました。飯館村の年老いた母親犬と息子ワン、この二匹は、新築と思われる家の敷地にこの一年ずっと番犬としていました。
放されているために、年老いて耳の聞こえない母親犬は、歩くのがやっとの状態でよく道路に出ていました。この一年なんどもスピードを出した車に轢かれそうになり、そこを通るたびに死んでいるのではと恐る恐る確認、生きていると「ホッ」とするのでした。
しかし、このところ外耳道炎だった耳が中耳の方まで炎症が深くなり、このままではもっと深刻な状態になりかねなく、夏を越せないのでは?と心配していました。息子の犬は、私たちが立ち去るときに、必ず走って車を追いかけてくるのがたまらなくつらくなり、とうとう昨日張り紙をしてきました。
一時預かり、もしくは帰村が困難であれば里親として面倒をみたい旨と連絡先を書いて・・で、先ほど飼い主さんから連絡がありました。避難先は、なんと、当院から車で5分、マンション形式の公務員宿舎でした。飯館の避難先は、動物が飼育出来ない所がやたら多いのです。そもそも、警戒区域の避難が先だったために飯館の避難先は、条件のいいところが少なくなっていたのですが。
飼い主さんによれば、避難が決まった時に二匹の犬を連れて行けないことが分かり、飯野のシェルターに預かりを依頼したところ断られたということでした。(昨年は、飯館は対象外でした。環境省が管轄していた警戒区域の動物しか入れてくれませんでした。もっとも200頭以上いて入らなかったのも事実ですが。今は、県に事情を相談すれば入れるのですが、知らない人が多いのです)犬を放してくるのはとても心配だったそうです。
やはり、轢かれてるのではと、いつもドキドキしていたと。しかし、当初はつないでいたのですが、離れた犬に襲われたことがあり、それからは、心配でも放して来るようになったということ。また、2~3日に一度は、見に行っていたということでした。私が、一週間に一度行くのも大変な負担でしたので大変だったと理解できます。一時間半片道かかります、雪が降ればもっと大変でした。12月から2月までは雪の無い時はほとんどありませんでしたから・・そのようなところに犬を放して置いてくるのは、とても辛く、暖かで環境の良い避難先にいると、犬を思い出しかわいそうでならなかったということでした。  
 飯館に夜行った時、人が住まなくなった村は、漆黒の光の無い世界が止めどもなく続き、時折出会う狸の目が赤く光りドキッとさせられました。犬達は、人のそばがいいのです。飼い主さん「本当にお願いしていいんでしょうか?やっと気持ちがおちつきます」とおっしゃられました。犬達は、2日に病院に連れてきたあと、うちの患者さんで、多くの犬を助け、引き受けてきたベテランの里親さんの家で、余生をおくることになりました。2匹一緒で家の中で飼われます。わたしは、うれしくてたまりません。
 もっと早くに張り紙をしてみれば良かった!


平成24年4月5日 柘植裕子(福島市動物病院)

〇スローライフの村は今・・
〇吹雪の中をラッセル
〇あぜ道を犬、猫が追ってくる
〇撫でられて身をよじる犬

 ここ数か月、計画避難区域相双地区の飯館に通っています。
本当は、行きたくありません。阿武隈の山間にあるこれらの村は、かつては桃源郷のようなところでした。
 しかし、人気の失せた村、荒れた田畑や主のいない広大な放牧地は、殺伐として寒々しい風景に変貌してしまいました。飯館は、氷点下20度を記録したこともあり、冬が長いのです。4月をとうにむかえた昨日も吹雪になりました。
飯館の山奥に実家がある当院の患者が、年老いた母親が飼っていた犬や猫の給餌に、週に一度、私の四輪駆動の車で行くことになったからです。
原発事故後に避難が決定され、その年老いた母親は、あっという間に認知症になってしまいました。施設に入ることになったために、飼っていた動物達、犬一匹、猫十匹は、山の中に放置されることになりました。
 犬は、福島に住む次女(当院の患者)の大家さんのご厚意で、大家さんの犬とお庭で同居させてもらいましたが、猫は、ひっそりとした山奥で自由に駆けまわり簡単には捕まりません。
半年で、三匹の捕獲という散々な結果のために、毎週の山行きを余儀なくされています。元の主がいなくなった犬小屋には、昨年の暮れにつがいの犬が住み着いてしまい、三匹の子犬を生んでしまうと言うオマケつきで・・・つい最近捕獲に成功した猫は、六匹の猫を出産するところでした。それこそ臨月すれすれの避妊手術で胸をなでおろしたところです。
残りの七匹の猫の捕獲、給餌には、急勾配の坂道をクネクネと上っていかなければなりません。 
 雪の季節は、1mもの積雪のため上り口の道路に車を放置し、餌や水、捕獲器は背負ってラッセルしながら登っていかなければなりません。60にもなって始終ぎっくり腰をおこす私が、こんなことをする羽目に・・・・東電を恨む!
片道1時間半の道程には、途中、車を見かけて遠くの田んぼの端っこからあぜ道を走ってくる犬や猫の姿が目に入ります。人が来たのを知って餌を貰うために走り寄ってくるのです。路肩に車をとめていつも積んでくる100円ショップの洗面器に缶詰やパウチを入れてやります。バターロールなどのパンは、犬が大好きですが、かれらは、餌が欲しいだけではないことが程なくしてわかりました。
 人に会いたかったのだと。頭をなでてやると身をよじり甘えます。立ち去るときに、犬は追ってくることがあり胸が張り裂けそうになりますが、全部を連れてくることは叶わず、ジャーキーなどを山盛りに置いて、食べている隙に車を発車させてきます。どうしても病気や妊娠しているのが優先になるのです。
 途中に犬や猫がいるところはだいたい把握しているために必ず給餌に寄ってくるのですが、時には死んでいたり姿が見えなくなっていたりと辛い道行になるために、最初に「行きたくありません」と書きました。本当に毎週行くのは辛いです。しかし、もし、飢えていたら、待っていたらと思うと出かけざるをえません。ここに時々書かせていただいたことから、小屋のない動物達に小屋の設置もだいぶできました。
 飯館は、村に帰ることを目標にしていますが、本当に帰る事ができるのでしょうか?線量計は、5~10マイクロを指しているところに出向いています。たまに低い日もありますが、そう線量は下がっていません。原発事故が終息しているとは到底信じられませんが・・・こんなことをいつまで続ければいいのか?ひたすら、自分が病気にならないことを願う日々です。 
飯舘の一部、帰還困難?国が提示
飯舘の早期の除染求める 


平成24年1月26日
「支援を下さった皆さまへ」  柘植裕子 

〇置き去りの犬のために犬小屋を買いました 
〇車で新幹線で餌やりに駆けつけてもらっています 

 今晩も、氷点下です。地吹雪や凍てつく空を見ると胸が苦しくなります。
計画避難の飯館や山木屋地区には、多くの犬猫が置き去りになっています。
昨年の冬は、炬燵で丸くなっていた猫は、人気も火の気もない納屋で。
 犬は、凍りついて形の変わってしまった鍋の氷で渇きを癒そうとしたようで、舐めて真ん中がへこんでいました。
 給餌のボランティアが行くと「ここにいるぞー」とばかりに尾をふりながら吠え始めます。神奈川から来たNさん、「すっかり衰弱して顔も上げない犬がいるの・・年老いて病気のようだし・・餌は食べてくれたけど、この次行くまで生きていないかも」と肩を落とす。
 どうして飼い主は連れていかないの?と疑問に思いますよね。もともとは、繁殖も自然に、生まれたらばあげたりもらったり。みんな、広い土地に3世代で暮らしたりで家も大きいのです。隣の家には車で行く、などという村に住んでいたのです。中型犬が一家で2~3匹、猫10匹なんていう家もおおいのです。2LDKの公務員宿舎や仮設では飼うことができません。毎日餌やりに来るには、避難先が遠く、ましてや冬ともなれば氷点下で道路も凍ります。
 とても、毎日動物の世話にだけ来るのは大変なことでしょう。だからといって放置して良いわけはありません。しかし、じゃあどうすればいいの?運まかせ?天気予報で寒波が来ると言っていました。つながれたままで吹きっさらしの所にいる犬達は、少しでも寒さから身を守るために穴を掘っています。でも、いつもお腹がすいているうえに寒波となれば凍死してしまいます。現にどれだけ凍死体を見たか。ですから氷点下というと心まで凍りそうです。ここの山際さんからのご紹介でいただく寄付は、そんな犬達のために  犬小屋を買うのに使わせていただきました。いただいた毛布も犬猫のために小屋と一緒に使っております。今日も、7台小屋がとどきました。ありがとうございました。ここのブログから救援の輪が広がり、とうとう、スタッドレスタイヤを掃き、チェーンの着脱も覚え、ブランドの服をかなぐり捨てて、ユニクロの暖パンをはいて来たNさん、本当に心からありがとう。そのような方が5人いらっしゃいます。中には、飛行機で新幹線で・・、「そんなの自己満足」とおっしゃる向きも、しかし、少しでも飢えずに暖かいおもいをしてくれれば、忘れてないからね!君たちのこと!いつも、心配して心を痛めてくれる人達がいるから。

平成24年1月2日
「支援を下さった皆さまへ」  柘植裕子 


 支援を下さった皆様への御礼を・・
 昨年は、福島県の動物達に暖かいご支援を本当にありがとうございました。まだ、シェルターの体制も整わず餌も不足していました。そのような折に山際様から「募集をしてみましょう」とおっしゃっていただき本当にありがたい思いでした。高価な処方食や暖かい敷物、お金、と申し訳なく思っておりました。
 不景気な上に震災での経済の低迷と、皆様にとっても大変な年だったとお察しします
が、次々に届けられる物資は本当に役に立ち涙が出ました。ご自分たちも節約なさってのことだろうと思い、すべて大切につかわせていただきました。経済的な負担はもとより荷造りの手間は大変だったと思います。阪神地震の時の自分の無関心をあらためて恥ずかしくおもいます。皆様にいただいたご親切を忘れずに出来る限り支援をしていくつもりです。ありがとうございました。

2012年3月30日金曜日

◎以下は平成23年に寄せられた動物病院からのメッセージです。
≪動物病院からの緊急の訴え≫ 平成23年8月24日

                          柘植裕子

 福島市飯野町にある被災犬、猫の第一シェルターで下痢が頻発しています。
数か月前から早川日記さんのブログで下痢止め用の缶詰とドライフードの支援をお願いしてきましたが、8月に入り、3キロ圏内の冨岡町、大熊町など原発事故以来初めての一時帰宅があり、5か月ぶりに犬猫が沢山保護されました。
 食べ物が枯渇した末にカエル、蛇の捕食をしていたらしくマンソン劣頭条虫という悪性のサナダ虫の感染が大多数です。感染すると猫でも2メートルものひもかわうどんのような平べったい寄生虫が5ミリ間隔についている棘を腸壁にひっかけて栄養分を吸い血便、粘血便の下痢をおこします。
 駆虫はすすんでいますが、下痢がなかなか止まりませんし、痩せてガリガリです。
シェルターでの動物の保護は、原発事故さえなければまったく必要のないものです。
しかし、シェルターの建設費用、運営費、臨時の世話をするトレーナーの人件費、動物の医薬品、食糧等々・・は、少ない県の予算からとほとんどが国民の浄財、寄付で賄われています。
 なぜ、東電や国に請求しないのか?してもくださらなかったのか?わかりませんが、今でも大半が(ボランティアや獣医師などの)持ち寄りで賄っています。
飯野だけでも犬猫・猫あわせて200頭以上います。ボランティアが入らなければ、3~5人で病気もふくめて世話をしています。動物達の食餌は、待ったなしです。毎日のことですから。せっかく保護したのにもかかわらず時には、命を落とす子もいます。
 飼い主が故郷に戻れなければシェルターの犬猫は、いったいいつまで狭い犬舎の中で自由もなく暮らし続けなければならないのか?人間でいえば、終身刑の囚人が牢屋の中で生涯を終えるのと同じようなものです。健康状態を早く良好にして、飼育を断念された動物から普通の家庭への里親を募っていますので、ペットショップで動物を購入する予定の方は、是非里親になってここにいる動物の命を繋いでください。

動物病院の連絡先は
当方にメールください。写真は現地で求めている、いわゆる「療養食」で、缶詰のほうは、スペシフィックのFRWと言う商品で、ドライフードはヒルズ猫用i/dドライという商品です。「どちらもネットで購入できますが、値段が高いので申し訳なく思います。」(柘植)福島県動物救護本部への支援 も可能です。


 
  続報1、 8月25日、柘植さんからのメール。
 さっそく支援の申し出がありました。感謝します。
やれどもやれども・・終わりません。今週、来週で、さらに3キロ圏内から助け出される予定ですが、病気でその後が大変です。頑張るしかありません。
さっき、コンビニに花ちゃん(原発周辺で保護した犬)を連れて行きました。買い物してもどると、顔がパッと笑うんです。よほど不安だったのです。
 思わず抱きしめてしまいました。まだ、喜怒哀楽というかあまり喜べない態度が見えて、心配してましたが、少しは私も頼られているようです。

この下の記事をご覧ください。私でも泣きます。
Thu, August 25, 2011 18:18:21
命の柱。死体の処理が始まりました
テーマ:ブログ
マロマの守人さんのブログからです。
転載の了承を頂いたので

 福島の瓦礫を少しでも引き受けようなどという発想はまったくないのですね。
 最近、少し・・時々悲しくなるのです。とはいえ、がんばっぺ!でいかないと毎日が終われません。ごん太は、元気、花ちゃんも太り当院にいる連中は、とりあえず幸せなはず?動物達の行先はいつになったら決まるのか?
 毎日、一頭が引き取られると新入りが入り、の繰り返しですがシェルターの職員さんボランティアさん、本当に良くやっています。心より感謝する毎日です。
ご支援を下さった皆様、本当にありがとうございました。現金の支援は、来週中にワクチンを購入する予定でおります。

続報8 10月28日、都内の支援者からの連絡
 柘植さんに電話して必要なものを聞きました。
○療養用の食事は、現在は支援物資で足りている。
○ジャーキー
餌とは別に犬を誘導するため使っているがこれが結構なくなる
○古新聞紙
ゲージ内に細かく切って細かく敷き詰める。
○古い毛布 犬、保温用
○フリースの安いひざ掛け(100円ー200円で売っているもの)
 ネコ用に使用
○ネコのダンボールにはホッカカイロを使用。現在は支援物資で足りている。
(あまったのをもらったような、、)

※需要はどんどん変化しますし、同じものを送ってもらっても困る場合もありますので、
その都度事前に確かめられるのがいいと思います。


続報9 11月21日、柘植さんからのメール
○ごん太は元気
○花ちゃんとはお別れ
○皆さんのおかげでシェルターの環境は改善したが、
○里親、餌支援はまだまだ必要

 いつものようにゴン太をつれて、荒川の河川敷に朝の散歩・・最近は、うんと、ずーっと遠くの水道橋まで行かないとウンチをしないゴン太。ゴン太の作戦かも?最近は長い散歩じゃないとつまらないらしい。
 でも、私が散歩をさせてやらなければならない犬は、ゴン太だけではないのです。おかげで、最近の体脂肪率は、サッカーの三浦和義くらいかも?
荒川は、吾妻連邦を水源とする豊饒な一級河川です。水鳥が多種舞い降りる美しかった河川敷です。残念なことに原発事故のために放射線量も高く、その後の台風での流木やゴミは片付けられることなく荒れ放題になっています。
 ビニールひもやレジ袋、看板や自転車まで流れ着いている河原のゴミは、水鳥にとっては致命傷になります。そんな心配が現実に目の前で繰り広げられてしまいました。いつもいる小鷺が、あしにコンビニの袋のようなものを付けて飛び立ちました。まるで、空母に着艦する戦闘機が広げるパラシュートのように、丸く空気を含んだ袋は、小鷺の飛ぶ力を制御するように低空飛行。それを追う二羽のカラスが、と、気が付いた瞬間に白い羽毛が飛び散って落下。
 ゴン太とともに茫然・・・弱肉強食の自然とはいえ、袋がなければ見なくてもすんだ一コマでした。そろそろ、白鳥も飛来始めているのに、今年は、多くの水鳥が事故に巻き込まれなければと考えています。

 今週は、ゴン太の同居犬、小高からきた花ちゃんが、新潟に避難している飼い主さんのところに引き取られていきます。とはいっても、小高の借り上げている動物用のプレハブに行くのですが・・すっかり禿げていた被毛もフサフサのきつね色の毛がはえ、元気になった花ちゃん。すっかり病気もなおり寒い新潟でも頑張ってほしいと思っています。でも、少し・・寂しいです、すっかりなついて目を細めて笑うようになったのです。あ~さびしい・・・・・。
 花ちゃんが行ってしまうと、だいぶ容体の悪いおじいさん犬が入ってきます。さて、気持ちを持ち直してがんばろうっと。
 皆様のおかげで福島の第一シェルターの食糧事情は、格段に改善されました。ヒルズの注文が多かったためか、ヒルズからの支援も入り餌の質は大改善でした。その後のフリースや毛布支援も多く、施設は、お世事にも立派とは言い難いのですが、居心地は、とても良くなっています。本当に心より感謝しております。ただ、運営費が2年はもたないように聞いており心配しています。なんとか、政府や東電からの支援が得られないか考えております。皆様も、ここの動物達の里親さんに、また、このような境遇にある動物達のことを皆様に広めていただければと思っております。
リンク、転載します。

゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜
どうして行政は無関心なのでしょうか?
いったい、動物達が何したって言うんですかね?
何の為の行政?
国民を苦しめる為?
こんなに苦しめて楽しいのか?
埋葬も許可されない動物もいるんですよね・・・。
日本はこんなに冷たい国やったっけ?
もうちょっと人情があると思ったのに。
このままでは、絶対にダメになりますね。
お偉いさん達は、この沢山の犠牲になった命を背負っていけれますか?
・・・って背負う気もないでしょうが・・・。
本当に心から、犠牲になった沢山の命に対して本当に本当に
ごめん。
もう、辛くも、喉が渇くことも、お腹が減る事も、淋しくもないから安らかに眠って下さい。


続報2、 8月26日、柘植さんからのメール。
 こんばんは、本当に支援が沢山きて驚いています。
石巻や三陸では、ペットフードは、いらないと言われるそうですが、福島のシェルターは、足りなくなっています。
 本来なら、国の予算や県から出るべきものです。昭和62年に環境省が、産業動物やペットの飼育管理をする管理者が、災害時に保護する義務付けを法的に履行しなければならないことを決めています。その管理者が被災者であるため国や県が代行対処しなければならないのですが、今の政権は全く何もやっていません。少なくても自民党時代・・山古志でも1200頭の牛を一月後には全頭助けました。今でも少しは間に合うにのに相変わらず何も動かない・・・何という愛情のない冷たい政権か!昨日など250頭の犬猫の世話を、たった二人のトレーナーでしたそうです。
 ボラんティアが入らない日は、泥のように疲労しながらの世話です。事故がおきなければいいですが・・・。今回の支援は、本当にありがたく申し訳なく思っています。ありがとうを100回くらい言っています。(独り言ですが・・)先日、冨岡町から5か月ぶりに保護されてうちにきた8歳の雌猫は、1,5キロしか体重がありませんでした。本当の骨と皮です。警戒区域は、人がいないので残飯もなくどうやって命を繋いできたのか?今朝がた大下痢をしたので検便したところ、やはりマンソン裂頭条虫の卵がかつて見たことがないほど顕微鏡でみました。カエルを食べていたんですね。人間なら死んでいますね。飼い主は「仮設住宅で飼えるかしら?」と言っています。人も大変なんでしょう。

続報3、 8月30日、柘植さんからのメール。
 大助かりです、またFRWは、食欲のない犬が喜んで食べるのと、コクシジウムの駆除剤が苦い上に30~40日にわたり内服が必要なために、この缶詰をお団子にして中に薬を仕込みます。
パクリと食べてくれて楽に投薬できます。それにしても、今からの心配は、9月に県の捕獲が本格的になるためにさらに数が増えて病気の動物達も多くなることです。第一シェルターは、被災した獣医さんが常駐することになりましたが、問題は、餌が相変わらず支援に頼らなければならないことです。東電、政府の支援が何故でないのか?いつまで、国民に甘えてるつもりなのでしょうか?
※政府にも陳情が必要なようです。

続報4、 9月3日、柘植さんからのメール。
第一シェルターの様子がここにも少し出ています。

続報5、 9月11日、柘植さんからのメール。

皆さんご支援ありがとうございます。
 毎日、処方食、犬用おやつ、猫のトイレの砂と色々届いております。個別でお礼状を書きたいのですが、病院の仕事、荷物の仕分けと忙殺され御礼がおくれています。
シェルターでは、下痢がおさまりつつあり猫の風邪もだいぶ下火になってきました。みな、飼い主さんがわかっている動物が多いようですが、ほどんど避難している状況のために引き取りが進まないようです。今は、まだ暑い日が続きますが、東北の冬はあっという間にやってきます。寒くなる前にそれぞれの飼い主さん、また里子に譲渡される子はそれなりに落ち着いてほしいところです。 
 中で働く方々も毎日一生懸命に世話をして下さっています。動物達が下痢をせずに健康状態が良く維持できれば、、それに越したことはありません。皆様に送っていただいた処方食は、無駄にせずに大切に使われているようで、喜んで食べることとお腹の調子が良いことに御礼を言われております。なお、現金を下さった方の使用用途は、下痢止めの注射液200A,コクシジウムの駆虫薬(トリブリッセン注射液50CC入り2バイアル、トリブリッセン錠480ミリ100錠、)、疥癬治療薬レボリューション250本を購入しました。シェルターの中での治療に使われています。行政からの支援はあまりなく、こうして皆様から送られるもの、一部企業からのご寄附があってのシェルター維持です。県の食品衛生課の皆様も、通常の業務の上にシェルターの仕事、放射線の高い立ち入り禁止区域での捕獲作業と、大変なご苦労をなされています。はやく、シェルターの撤収が望ましいところですが、原発の事故終息を迎え、避難されている皆様がそれぞれの故郷に戻れるまでは、せっかく助かった命を大切に世話をしていくことになります。新たな災害がおきたり、福島の原発事故が終息を見ない前に日常化して、皆様の中で埋没した過去のものになることがとても心配です。
すでにボランティアが先細りになったり、餌の支援がピタッと止まることもあり、そのような時は、少し心配になります。沢山は望みません、少しづつ長いスパンでのご支援をお願いします。

シェルター内での動物の情報も含めボランティア募集の登録等
ここ(福島県動物救護本部)にアクセスをお願いします。

続報6、 9月13日、柘植さんからのメール。

 田中祥子さんからの支援が届いていますが、住所がありません。くれぐれもありがとうとお伝えください。今まで、これ程親切にしていただいたことは経験がなく驚いています。「今の日本人は~」などと悪しざまに言う方もおられますが、とんでもありません!皆様の御好意にはどうお返ししたらいいかわかりません。
皆様、決して生活に余裕がある方ばかりではないでしょうに、荷物の一つ一つを見るにつけ暖かい心が伝ってきて感謝にたえません。動物達に成り代わり御礼を申し上げます。 

続報7 10月6日、柘植さんからのメール

 長い間、御礼も申し上げず失礼しておりました。
8月以来、4頭の病気の猫をみておりました。中には、5か月間に及びまったく餌を与えられずに命を繋いでいたのもいました。
 全頭、回復して無事飼い主さん、里親さんの元に引き取られていきました。
皆様のおかげでシェルター内の動物達は、下痢も良くなり太って毛並もととのってきました。とても可愛くなり里親さんの来るのを待っております。県の動物救護本部のホームページには、それらの動物達の写真が掲載されております。是非一度みて下さい。
 先日、警戒区域から8頭の猫を捕獲してきた方の話では、犬達は、警戒心が強くほとんど捕獲は無理になってきているようです。猫は、搬送中にした便がコオロギとバッタだけの便だったそうです。夏の暑いさ中はカエル、へび。秋に入り捕食は昆虫になりましたが、ほとんど消化されずにそのまま排泄されます。セミを食べていた動物達は、消化不良の下痢に苦しみます。冬をむかえれば、食べ物は何もなくなります。
 それを思うと、シェルターの動物達は、自由はないものの、雨風にもあたらず餌ももらえ、最近は、暖房もいれてもらっており良いとしなければなりません。警戒が解除になっても除染は遅々として進まず、人は、ほとんど戻ることが出来ない状況です。改めて原発事故の、被害の程を思い知らされています。遮二無二、原発に反対するものではありませんが、今の原発推進派は、近視眼的に自分たちの生きている間だけ良ければ良いと考えているのだと思います。でなければ、核廃棄物の処理法が確立されていない、現段階の原子力発電の恩恵だけ受ける、などという自分勝手な利用が出来るわけがありません。福島のものは、なんであれ放射線量を取沙汰され風評加害を受けております。コンクリートの橋、船舶のエンジン、花火、宝石のように美しくおいしい果物・・東京に里親が決まり、都内の動物病院で治療を受け ようとした犬が、具合が悪いのにもかかわらず「シャンプーしてからでないと診ません」と来院拒否、あげたらキリがないほど嫌われて おります。東京の方々の生活、産業、文化を支えてきた電気は、福島のこの現実の上に積まれてきたものではありませんか?
◇年末を迎えて、最近の動き
 民間のボランティア団体による、許可を得ての警戒区域内の犬猫救出は12月の27日で終わりお正月になってしまいました。生きていくのにやっとの動物達に正月も何もないはずですが・・しかし、今日2日も餌置き、勧奨区域の置き去り犬への犬小屋設置へ送り出したところでした。夜の11時にです。飯野のシェルターも休みなしで世話をしております。 生きているものの面倒は一日も休めないのは当然のことですが、最近は、つと考えるに、本当に家も大切なものも動物も放り出して逃げる必要があったのか?また、帰宅をこれほど厳密に規制し放りっぱなしにする必要性はあったのか?お向かいの家の池は最近25マイクロでした。半年前は計測していなかったのでわかりませんが飯館より高いのに我々は、避難指示どころか歯牙にもかけられておりません??逃げてもいないし。
 その庭の無花果は、毎年ハクビシンに狙われてほとんど収穫できなかったのに、今年は、腐れ落ちておりました。ハクビシンはどこへ行ったのか?この原発事故は、本当にどこがどう悪いのか訳が分からなくなりました。政府の無策無能は、語るのもウンザリで私など諦めております。
 そうは言っても動物達だけは、なんとか助けてやりたい思いでいます。今年もシェルター支援は、まだ必要ですが、だいぶ飯野は頭数が減り今110頭になっています。ごん太の隣の犬舎には飯野のシェルターから来た新入りの「じっち」(このあたりの方言で「おらげのじっち」うちのおじいさんの意)新入りといっても骨皮筋衛門の体に認知症、耳は聞こえない・・カルテには、保護時の特徴「衰弱」とあり、下痢吐き気がとまらずに「どうせ死ぬならせめて病院で」とスタッフが連れてきたのでした。
 ごん太には、「夜の介護は頼んだよ」と言い聞かせておりますが、時々ウォ~と意味不明の遠吠えをするために「じっちうるせ~」とごん太が吠えております。じっちは、看取る必要もなくなり、支援でいただいたマイクロファイバーの毛布をフカフカにして一日中湯たんぽを抱いて寝ております。夜病院で最後の見回りをするとき、穏やかな寝息をたてている無防備な姿にホットします。「何も心配ないからね・・」

「最近、氷遊びに凝っているごん太」