2013年1月20日日曜日

私がリンク(右下)していた早川日記さんが先週亡くなりました。 私は顔見知りではありませんが、新幹線で名古屋から福島にかけつけた早川さんの活躍についてはよく聞いています。なにがあったのか分かりませんが、「頑張りすぎていたんじゃないか」との声も聞きます。震災から1年10カ月、支援のボランティアは精神的にも経済的にも疲れ果てているのではないでしょうか。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。(山際)

早川さんがリーダーだった福島・飯館村で給餌活動をしていたボランティアグループ『ちーむぼんぼん』です。リーダーの突然の死で、メンバーは里親募集をしていた犬猫を引き取ったり、医療費を支払ったりと事後処理に追われているようです。それでも残されたメンバーで今後とも地道な活動を続ける決心のようです。可能な範囲でみなさんの応援をお願いします。
http://ameblo.jp/michikomeri/

2013年1月1日火曜日


散歩するといろんなものをつけてきます。

平成25年元旦 柘植裕子(福島市動物病院)

○いまだに続く支援

○餌は飯館村等に配給

○ゴン太は元気

○飼い主の帰還はまだ先

○日本は素晴らしい!

 


 ご無沙汰しておりました。あけましておめでとうございます。このサイト経由の支援がいまだに続いております。2年にもなり申し訳ない気持ちでおりますが、実は、とても有難いのです。圏内に持っていく餌は、相模原のNさんとOさんの方へ届いていますが、私の所へ来るものは、飯館村と保護した動物を預かって下さっている方にも配ります。1か所で平均10頭お世話になっていますので餌代の足しになります。
 心より感謝しております。
 先日、飯館の封鎖になった手前の山間に行きました。そこは、15匹の猫と3頭の犬を半年かけて捕獲した所です。牛舎に入って腰を抜かさんばかりでした。ネズミの大群と、逃げた後には山盛りのネズミの糞・・・猫を捕まえるために行っていた頃は、ネズミの糞一つ落ちていませんでした。そこにいた猫達がどれ程の働きをしていたのかがわかりました。とすると、帰村する頃には、猫のいない所はどうなるのでしょうね?しかし、雪で真っ白な氷点下の所には、なるべく帰したくないのです。やはり、家畜は、人間と共存してからこその存在でしょうか。
 ごん太は元気でうちにいます。ごん太の飼い主さんがいた楢葉町は避難指示解除準備区域で、除染、その他帰還の準備が急ピッチで行われていますが、飼い主さんの生業だった畜産の見通しも立たず、帰還はまだまだ先のようです。
 話は変わりますが、先日、北朝鮮の遺骨収集と、清津会の墓参団を組織したK氏(めぐみちゃんの娘の写真を初めて日本に持ち帰った方)から電話をもらいました。年が明けたら福島に来るそうです。用向きは、わかりません。アジアプレスの石丸さんが恵山で隠し撮りをした映像を先日見ましたが、しばらくは、いなくなったコッチェビ(浮浪児)がまた増えていました。
 路傍には、亡くなって数日たつ幼児の遺骸が転がっていました。誰にも関心を持たれずに死んでいく子供に胸が詰まりました。どんなに心細く、ひもじく、悲しかったか・・福島のような被災地で、とは言っても、ご飯もたっぷりいただき、暖かい炬燵に足を突っ込んでいますのに、動物に対しての支援でさえ暖かいカードが添えられ、毎たび「こんなことしか出来ずにごめんなさい」とおっしゃられる方々・・単に余裕がある、と言う様な話ではなく、思いやり、人の悲しみを共有出来る徳が日本人には備わっているような気がしています。
 政治がどうあれ、人の質だけは、どの国にも負けない!と思いますが?また、日本に生まれてきたいと思っています。  
感謝を込めて。