2012年4月7日土曜日

ごん太」 Who?

「ごん太」近影

 

 平成24年7月28日 柘植裕子(福島市動物病院)

○住居に戻れぬ避難民

○行くたびに朽ち果てる避難区域

○新入りの「じっち」は静かに息を引き取った。

○犬猫放置のまま帰宅困難地域に再編された飯館村長泥地区

○可能な限り救援してるが、今から冬が心配

○ゴン太は元気


昨年の3月11日、震災一時間後には、猛吹雪が始まり、家から逃げ出した犬達が道路や公園に屯し、それを心配した親切な(お節介な・・)犬好きたちが病院に搬入してきました。おそらく自分たちの家もメチャクチャだったろうし、電気水道ガスのすべてが止まり、どう一夜を過ごそうかというさ中にです。私の自宅も住めるような状況ではなく、大分長いあいだ、病院で動物達と一緒にすごしましたが、当日の動物達の様子は、怯え、ふるえ、食欲もなく鳴くばかりでした。地震直後に家を飛び出した多くの猫たちは、大半がいまだに戻ってきません。一体どこへ消えてしまったのか?
 あれから一年もたち、表向きは通常の生活を取り戻したかのようにみえますが、多くの原発圏内からの避難民は、そこここの仮設、借り上げに住まい、先の見通しは立っていないのです。
瓦礫や除染土の仮置き場すら決まらない所ばかりで、復興の進捗は感じられません。動物達の給餌や保護で圏内や飯館に入ると、錆びついた車や農機具が放置され、道路に蔦が這い、畑の、異常に育った蕨の太さにジュラシックパークを思いだし背筋が寒くなります。犬かと思えば狐、トンビだと思ったら鷹、目の前でキジバトをくわえた猫が鷹に鷲づかみにされたことも。避難者の方々も、最近は、一時帰宅で戻れば、行くたびに朽ち果てていく風景に気持ちがふさぎ、かえって行かない方が精神的に楽だと言う方もいます。
ただし、飯館に関しては、未だに動物を置いてきているため帰らなくてはなりません。そのような動物が多く残された長泥地区が17日をさかいに帰宅困難区域に再編され、6箇所のバリケードで封鎖されてしまいました。住民と一緒でなければ給餌のボランティアが入れないのです。どうなるのか?里親が見つかった動物は数少なく、今年の冬を今から心配しています。長泥は、桜、つつじ、あじさい・・と季節ごとの花が咲き乱れる桃源郷です。自分たちで開墾してきたため、住民の土地への思いは大きく、出なければならないことが分かっていても草刈や桜の剪定や植樹によねんがありません。くじけないで淡々と作業をする村の人々には、必ず戻りたいという思いが感じられ、鼻の奥がツーンとしてしまいました。東電の会長、社長、社員に見てもらいたい風景でしたが・・・・・
2012年7月5日に国会事故調査委員会報告書が発表されました。同報告書では、自然災害を起因とする過酷事故に対する備えが脆弱であることを知りながら、耐震補強工事は進められず、東電社内では、いつしか2016年1月まで先送りされていたことが明確に書かれていました。福島原発事故は人災によって発生したとしています。 人災であったとすれば、あれ程の地震津波でも、今後は、「人の力で原発の事故は防ぐことが出来る」というロジックが成り立つのです。そうなると、原発を稼働したい側からは、防ぐことができるのだから、今後の稼働は安全に出来る、ということになります。しかし、事故さえ起こさなければ稼動に賛成できるか?といえばやはりNO!です。
  東京電力の下河辺和彦会長と広瀬直己社長は7月4日、就任後初めて福島第1、第2の両原発を視察、その後の報道陣の取材に対し、第2原発の廃炉について「今は全くの未定」と語った。 東電の経営トップ2人が廃炉を明言しなかったことについては、様々な理由があるのでしょうが、ここに住む当事者としては、とても許しがたい気持ちでいます。事故直後も、当時の清水正孝社長が、「福島第一原発は、廃炉にせざるを得ない」と、あたかも廃炉を未練がましく語り、はらわたが煮えくり返る思いをしました。この一年、福島県民が経験した辛さは簡単に語ることはできません。事故を起こした炉の廃炉の工程計画もなく、生活基盤は、完全に崩壊したままでいます。

と、ここまで書いて、一週間放置したままになりました。とめどもなく、東電に恨み辛みを書き続けそうで面倒になってしまったのです。今さら書いても東電が反省するでなし、「暖簾に腕押し」です。何を言っても、この現状を受け入れるしかないのが現実です。この福島の瓦礫と11417本の未使用、使用済み燃料棒を引き受けるところはないのです。今、生きる現実にもどります。
じっちは、5月17日の未明にひっそりと息をひきとりました。前日に食べたものを吐き、自力で立ち上がることが出来なくなって間もなくでした。じっちの保護された小高(南相馬市)は、まだ荒れ放題です。地震からの4か月をどう生きてきたのか・・・認知症のようで食べ物や人の判別もよくできませんでしたが、陽だまりで頭を撫でていると、私の膝にアゴをのせ目を細めて気持ちよさそうにしていました。最後を看取れて私も満足でした。その間、支援の物資や励ましの手紙と皆様には、とても感謝しております。ありがとうございました。
 今は、保護した猫達のほとんどがエイズ、白血病、伝染性腹膜炎のキャリアで、その半数が発病状態で連日の治療に忙殺されています。院内で感染するために新たな保護が出来ない状態です。また、あっという間に冬が到来すれば、新たに生まれた子犬子猫にも厳しい試練が待っています。続けられるかぎりは保護していくつもりですが終わりはみえません。継続的に支援をして下さる皆様には、本当に感謝しておりますが、いつまでも甘えても申し訳なく、なるべく自力で頑張っていくつもりです。本当にありがとうございました。
 ごん太は、相変わらず元気にしています。最近、いただいたお布団で、大の字になって昼寝をしております。飼い主さんは、いまだに楢葉に戻れず、ごん太は、入院室の牢名主の地位を確固たるものにしました。(新入りの面倒は、あまりみていない?)
2012年728


4月29日 柘植裕子 (福島市の動物病院)

〇飯舘村の母親犬と息子ワンを救出
〇福島市の里親に預ける
 
 今日は、久しぶりに良いことがありました。飯館村の年老いた母親犬と息子ワン、この二匹は、新築と思われる家の敷地にこの一年ずっと番犬としていました。
放されているために、年老いて耳の聞こえない母親犬は、歩くのがやっとの状態でよく道路に出ていました。この一年なんどもスピードを出した車に轢かれそうになり、そこを通るたびに死んでいるのではと恐る恐る確認、生きていると「ホッ」とするのでした。
しかし、このところ外耳道炎だった耳が中耳の方まで炎症が深くなり、このままではもっと深刻な状態になりかねなく、夏を越せないのでは?と心配していました。息子の犬は、私たちが立ち去るときに、必ず走って車を追いかけてくるのがたまらなくつらくなり、とうとう昨日張り紙をしてきました。
一時預かり、もしくは帰村が困難であれば里親として面倒をみたい旨と連絡先を書いて・・で、先ほど飼い主さんから連絡がありました。避難先は、なんと、当院から車で5分、マンション形式の公務員宿舎でした。飯館の避難先は、動物が飼育出来ない所がやたら多いのです。そもそも、警戒区域の避難が先だったために飯館の避難先は、条件のいいところが少なくなっていたのですが。
飼い主さんによれば、避難が決まった時に二匹の犬を連れて行けないことが分かり、飯野のシェルターに預かりを依頼したところ断られたということでした。(昨年は、飯館は対象外でした。環境省が管轄していた警戒区域の動物しか入れてくれませんでした。もっとも200頭以上いて入らなかったのも事実ですが。今は、県に事情を相談すれば入れるのですが、知らない人が多いのです)犬を放してくるのはとても心配だったそうです。
やはり、轢かれてるのではと、いつもドキドキしていたと。しかし、当初はつないでいたのですが、離れた犬に襲われたことがあり、それからは、心配でも放して来るようになったということ。また、2~3日に一度は、見に行っていたということでした。私が、一週間に一度行くのも大変な負担でしたので大変だったと理解できます。一時間半片道かかります、雪が降ればもっと大変でした。12月から2月までは雪の無い時はほとんどありませんでしたから・・そのようなところに犬を放して置いてくるのは、とても辛く、暖かで環境の良い避難先にいると、犬を思い出しかわいそうでならなかったということでした。  
 飯館に夜行った時、人が住まなくなった村は、漆黒の光の無い世界が止めどもなく続き、時折出会う狸の目が赤く光りドキッとさせられました。犬達は、人のそばがいいのです。飼い主さん「本当にお願いしていいんでしょうか?やっと気持ちがおちつきます」とおっしゃられました。犬達は、2日に病院に連れてきたあと、うちの患者さんで、多くの犬を助け、引き受けてきたベテランの里親さんの家で、余生をおくることになりました。2匹一緒で家の中で飼われます。わたしは、うれしくてたまりません。
 もっと早くに張り紙をしてみれば良かった!


平成24年4月5日 柘植裕子(福島市動物病院)

〇スローライフの村は今・・
〇吹雪の中をラッセル
〇あぜ道を犬、猫が追ってくる
〇撫でられて身をよじる犬

 ここ数か月、計画避難区域相双地区の飯館に通っています。
本当は、行きたくありません。阿武隈の山間にあるこれらの村は、かつては桃源郷のようなところでした。
 しかし、人気の失せた村、荒れた田畑や主のいない広大な放牧地は、殺伐として寒々しい風景に変貌してしまいました。飯館は、氷点下20度を記録したこともあり、冬が長いのです。4月をとうにむかえた昨日も吹雪になりました。
飯館の山奥に実家がある当院の患者が、年老いた母親が飼っていた犬や猫の給餌に、週に一度、私の四輪駆動の車で行くことになったからです。
原発事故後に避難が決定され、その年老いた母親は、あっという間に認知症になってしまいました。施設に入ることになったために、飼っていた動物達、犬一匹、猫十匹は、山の中に放置されることになりました。
 犬は、福島に住む次女(当院の患者)の大家さんのご厚意で、大家さんの犬とお庭で同居させてもらいましたが、猫は、ひっそりとした山奥で自由に駆けまわり簡単には捕まりません。
半年で、三匹の捕獲という散々な結果のために、毎週の山行きを余儀なくされています。元の主がいなくなった犬小屋には、昨年の暮れにつがいの犬が住み着いてしまい、三匹の子犬を生んでしまうと言うオマケつきで・・・つい最近捕獲に成功した猫は、六匹の猫を出産するところでした。それこそ臨月すれすれの避妊手術で胸をなでおろしたところです。
残りの七匹の猫の捕獲、給餌には、急勾配の坂道をクネクネと上っていかなければなりません。 
 雪の季節は、1mもの積雪のため上り口の道路に車を放置し、餌や水、捕獲器は背負ってラッセルしながら登っていかなければなりません。60にもなって始終ぎっくり腰をおこす私が、こんなことをする羽目に・・・・東電を恨む!
片道1時間半の道程には、途中、車を見かけて遠くの田んぼの端っこからあぜ道を走ってくる犬や猫の姿が目に入ります。人が来たのを知って餌を貰うために走り寄ってくるのです。路肩に車をとめていつも積んでくる100円ショップの洗面器に缶詰やパウチを入れてやります。バターロールなどのパンは、犬が大好きですが、かれらは、餌が欲しいだけではないことが程なくしてわかりました。
 人に会いたかったのだと。頭をなでてやると身をよじり甘えます。立ち去るときに、犬は追ってくることがあり胸が張り裂けそうになりますが、全部を連れてくることは叶わず、ジャーキーなどを山盛りに置いて、食べている隙に車を発車させてきます。どうしても病気や妊娠しているのが優先になるのです。
 途中に犬や猫がいるところはだいたい把握しているために必ず給餌に寄ってくるのですが、時には死んでいたり姿が見えなくなっていたりと辛い道行になるために、最初に「行きたくありません」と書きました。本当に毎週行くのは辛いです。しかし、もし、飢えていたら、待っていたらと思うと出かけざるをえません。ここに時々書かせていただいたことから、小屋のない動物達に小屋の設置もだいぶできました。
 飯館は、村に帰ることを目標にしていますが、本当に帰る事ができるのでしょうか?線量計は、5~10マイクロを指しているところに出向いています。たまに低い日もありますが、そう線量は下がっていません。原発事故が終息しているとは到底信じられませんが・・・こんなことをいつまで続ければいいのか?ひたすら、自分が病気にならないことを願う日々です。 
飯舘の一部、帰還困難?国が提示
飯舘の早期の除染求める 


平成24年1月26日
「支援を下さった皆さまへ」  柘植裕子 

〇置き去りの犬のために犬小屋を買いました 
〇車で新幹線で餌やりに駆けつけてもらっています 

 今晩も、氷点下です。地吹雪や凍てつく空を見ると胸が苦しくなります。
計画避難の飯館や山木屋地区には、多くの犬猫が置き去りになっています。
昨年の冬は、炬燵で丸くなっていた猫は、人気も火の気もない納屋で。
 犬は、凍りついて形の変わってしまった鍋の氷で渇きを癒そうとしたようで、舐めて真ん中がへこんでいました。
 給餌のボランティアが行くと「ここにいるぞー」とばかりに尾をふりながら吠え始めます。神奈川から来たNさん、「すっかり衰弱して顔も上げない犬がいるの・・年老いて病気のようだし・・餌は食べてくれたけど、この次行くまで生きていないかも」と肩を落とす。
 どうして飼い主は連れていかないの?と疑問に思いますよね。もともとは、繁殖も自然に、生まれたらばあげたりもらったり。みんな、広い土地に3世代で暮らしたりで家も大きいのです。隣の家には車で行く、などという村に住んでいたのです。中型犬が一家で2~3匹、猫10匹なんていう家もおおいのです。2LDKの公務員宿舎や仮設では飼うことができません。毎日餌やりに来るには、避難先が遠く、ましてや冬ともなれば氷点下で道路も凍ります。
 とても、毎日動物の世話にだけ来るのは大変なことでしょう。だからといって放置して良いわけはありません。しかし、じゃあどうすればいいの?運まかせ?天気予報で寒波が来ると言っていました。つながれたままで吹きっさらしの所にいる犬達は、少しでも寒さから身を守るために穴を掘っています。でも、いつもお腹がすいているうえに寒波となれば凍死してしまいます。現にどれだけ凍死体を見たか。ですから氷点下というと心まで凍りそうです。ここの山際さんからのご紹介でいただく寄付は、そんな犬達のために  犬小屋を買うのに使わせていただきました。いただいた毛布も犬猫のために小屋と一緒に使っております。今日も、7台小屋がとどきました。ありがとうございました。ここのブログから救援の輪が広がり、とうとう、スタッドレスタイヤを掃き、チェーンの着脱も覚え、ブランドの服をかなぐり捨てて、ユニクロの暖パンをはいて来たNさん、本当に心からありがとう。そのような方が5人いらっしゃいます。中には、飛行機で新幹線で・・、「そんなの自己満足」とおっしゃる向きも、しかし、少しでも飢えずに暖かいおもいをしてくれれば、忘れてないからね!君たちのこと!いつも、心配して心を痛めてくれる人達がいるから。

平成24年1月2日
「支援を下さった皆さまへ」  柘植裕子 


 支援を下さった皆様への御礼を・・
 昨年は、福島県の動物達に暖かいご支援を本当にありがとうございました。まだ、シェルターの体制も整わず餌も不足していました。そのような折に山際様から「募集をしてみましょう」とおっしゃっていただき本当にありがたい思いでした。高価な処方食や暖かい敷物、お金、と申し訳なく思っておりました。
 不景気な上に震災での経済の低迷と、皆様にとっても大変な年だったとお察しします
が、次々に届けられる物資は本当に役に立ち涙が出ました。ご自分たちも節約なさってのことだろうと思い、すべて大切につかわせていただきました。経済的な負担はもとより荷造りの手間は大変だったと思います。阪神地震の時の自分の無関心をあらためて恥ずかしくおもいます。皆様にいただいたご親切を忘れずに出来る限り支援をしていくつもりです。ありがとうございました。

2012年3月30日金曜日

◎以下は平成23年に寄せられた動物病院からのメッセージです。
≪動物病院からの緊急の訴え≫ 平成23年8月24日

                          柘植裕子

 福島市飯野町にある被災犬、猫の第一シェルターで下痢が頻発しています。
数か月前から早川日記さんのブログで下痢止め用の缶詰とドライフードの支援をお願いしてきましたが、8月に入り、3キロ圏内の冨岡町、大熊町など原発事故以来初めての一時帰宅があり、5か月ぶりに犬猫が沢山保護されました。
 食べ物が枯渇した末にカエル、蛇の捕食をしていたらしくマンソン劣頭条虫という悪性のサナダ虫の感染が大多数です。感染すると猫でも2メートルものひもかわうどんのような平べったい寄生虫が5ミリ間隔についている棘を腸壁にひっかけて栄養分を吸い血便、粘血便の下痢をおこします。
 駆虫はすすんでいますが、下痢がなかなか止まりませんし、痩せてガリガリです。
シェルターでの動物の保護は、原発事故さえなければまったく必要のないものです。
しかし、シェルターの建設費用、運営費、臨時の世話をするトレーナーの人件費、動物の医薬品、食糧等々・・は、少ない県の予算からとほとんどが国民の浄財、寄付で賄われています。
 なぜ、東電や国に請求しないのか?してもくださらなかったのか?わかりませんが、今でも大半が(ボランティアや獣医師などの)持ち寄りで賄っています。
飯野だけでも犬猫・猫あわせて200頭以上います。ボランティアが入らなければ、3~5人で病気もふくめて世話をしています。動物達の食餌は、待ったなしです。毎日のことですから。せっかく保護したのにもかかわらず時には、命を落とす子もいます。
 飼い主が故郷に戻れなければシェルターの犬猫は、いったいいつまで狭い犬舎の中で自由もなく暮らし続けなければならないのか?人間でいえば、終身刑の囚人が牢屋の中で生涯を終えるのと同じようなものです。健康状態を早く良好にして、飼育を断念された動物から普通の家庭への里親を募っていますので、ペットショップで動物を購入する予定の方は、是非里親になってここにいる動物の命を繋いでください。

動物病院の連絡先は
当方にメールください。写真は現地で求めている、いわゆる「療養食」で、缶詰のほうは、スペシフィックのFRWと言う商品で、ドライフードはヒルズ猫用i/dドライという商品です。「どちらもネットで購入できますが、値段が高いので申し訳なく思います。」(柘植)福島県動物救護本部への支援 も可能です。


 
  続報1、 8月25日、柘植さんからのメール。
 さっそく支援の申し出がありました。感謝します。
やれどもやれども・・終わりません。今週、来週で、さらに3キロ圏内から助け出される予定ですが、病気でその後が大変です。頑張るしかありません。
さっき、コンビニに花ちゃん(原発周辺で保護した犬)を連れて行きました。買い物してもどると、顔がパッと笑うんです。よほど不安だったのです。
 思わず抱きしめてしまいました。まだ、喜怒哀楽というかあまり喜べない態度が見えて、心配してましたが、少しは私も頼られているようです。

この下の記事をご覧ください。私でも泣きます。
Thu, August 25, 2011 18:18:21
命の柱。死体の処理が始まりました
テーマ:ブログ
マロマの守人さんのブログからです。
転載の了承を頂いたので

 福島の瓦礫を少しでも引き受けようなどという発想はまったくないのですね。
 最近、少し・・時々悲しくなるのです。とはいえ、がんばっぺ!でいかないと毎日が終われません。ごん太は、元気、花ちゃんも太り当院にいる連中は、とりあえず幸せなはず?動物達の行先はいつになったら決まるのか?
 毎日、一頭が引き取られると新入りが入り、の繰り返しですがシェルターの職員さんボランティアさん、本当に良くやっています。心より感謝する毎日です。
ご支援を下さった皆様、本当にありがとうございました。現金の支援は、来週中にワクチンを購入する予定でおります。

続報8 10月28日、都内の支援者からの連絡
 柘植さんに電話して必要なものを聞きました。
○療養用の食事は、現在は支援物資で足りている。
○ジャーキー
餌とは別に犬を誘導するため使っているがこれが結構なくなる
○古新聞紙
ゲージ内に細かく切って細かく敷き詰める。
○古い毛布 犬、保温用
○フリースの安いひざ掛け(100円ー200円で売っているもの)
 ネコ用に使用
○ネコのダンボールにはホッカカイロを使用。現在は支援物資で足りている。
(あまったのをもらったような、、)

※需要はどんどん変化しますし、同じものを送ってもらっても困る場合もありますので、
その都度事前に確かめられるのがいいと思います。


続報9 11月21日、柘植さんからのメール
○ごん太は元気
○花ちゃんとはお別れ
○皆さんのおかげでシェルターの環境は改善したが、
○里親、餌支援はまだまだ必要

 いつものようにゴン太をつれて、荒川の河川敷に朝の散歩・・最近は、うんと、ずーっと遠くの水道橋まで行かないとウンチをしないゴン太。ゴン太の作戦かも?最近は長い散歩じゃないとつまらないらしい。
 でも、私が散歩をさせてやらなければならない犬は、ゴン太だけではないのです。おかげで、最近の体脂肪率は、サッカーの三浦和義くらいかも?
荒川は、吾妻連邦を水源とする豊饒な一級河川です。水鳥が多種舞い降りる美しかった河川敷です。残念なことに原発事故のために放射線量も高く、その後の台風での流木やゴミは片付けられることなく荒れ放題になっています。
 ビニールひもやレジ袋、看板や自転車まで流れ着いている河原のゴミは、水鳥にとっては致命傷になります。そんな心配が現実に目の前で繰り広げられてしまいました。いつもいる小鷺が、あしにコンビニの袋のようなものを付けて飛び立ちました。まるで、空母に着艦する戦闘機が広げるパラシュートのように、丸く空気を含んだ袋は、小鷺の飛ぶ力を制御するように低空飛行。それを追う二羽のカラスが、と、気が付いた瞬間に白い羽毛が飛び散って落下。
 ゴン太とともに茫然・・・弱肉強食の自然とはいえ、袋がなければ見なくてもすんだ一コマでした。そろそろ、白鳥も飛来始めているのに、今年は、多くの水鳥が事故に巻き込まれなければと考えています。

 今週は、ゴン太の同居犬、小高からきた花ちゃんが、新潟に避難している飼い主さんのところに引き取られていきます。とはいっても、小高の借り上げている動物用のプレハブに行くのですが・・すっかり禿げていた被毛もフサフサのきつね色の毛がはえ、元気になった花ちゃん。すっかり病気もなおり寒い新潟でも頑張ってほしいと思っています。でも、少し・・寂しいです、すっかりなついて目を細めて笑うようになったのです。あ~さびしい・・・・・。
 花ちゃんが行ってしまうと、だいぶ容体の悪いおじいさん犬が入ってきます。さて、気持ちを持ち直してがんばろうっと。
 皆様のおかげで福島の第一シェルターの食糧事情は、格段に改善されました。ヒルズの注文が多かったためか、ヒルズからの支援も入り餌の質は大改善でした。その後のフリースや毛布支援も多く、施設は、お世事にも立派とは言い難いのですが、居心地は、とても良くなっています。本当に心より感謝しております。ただ、運営費が2年はもたないように聞いており心配しています。なんとか、政府や東電からの支援が得られないか考えております。皆様も、ここの動物達の里親さんに、また、このような境遇にある動物達のことを皆様に広めていただければと思っております。
リンク、転載します。

゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜
どうして行政は無関心なのでしょうか?
いったい、動物達が何したって言うんですかね?
何の為の行政?
国民を苦しめる為?
こんなに苦しめて楽しいのか?
埋葬も許可されない動物もいるんですよね・・・。
日本はこんなに冷たい国やったっけ?
もうちょっと人情があると思ったのに。
このままでは、絶対にダメになりますね。
お偉いさん達は、この沢山の犠牲になった命を背負っていけれますか?
・・・って背負う気もないでしょうが・・・。
本当に心から、犠牲になった沢山の命に対して本当に本当に
ごめん。
もう、辛くも、喉が渇くことも、お腹が減る事も、淋しくもないから安らかに眠って下さい。


続報2、 8月26日、柘植さんからのメール。
 こんばんは、本当に支援が沢山きて驚いています。
石巻や三陸では、ペットフードは、いらないと言われるそうですが、福島のシェルターは、足りなくなっています。
 本来なら、国の予算や県から出るべきものです。昭和62年に環境省が、産業動物やペットの飼育管理をする管理者が、災害時に保護する義務付けを法的に履行しなければならないことを決めています。その管理者が被災者であるため国や県が代行対処しなければならないのですが、今の政権は全く何もやっていません。少なくても自民党時代・・山古志でも1200頭の牛を一月後には全頭助けました。今でも少しは間に合うにのに相変わらず何も動かない・・・何という愛情のない冷たい政権か!昨日など250頭の犬猫の世話を、たった二人のトレーナーでしたそうです。
 ボラんティアが入らない日は、泥のように疲労しながらの世話です。事故がおきなければいいですが・・・。今回の支援は、本当にありがたく申し訳なく思っています。ありがとうを100回くらい言っています。(独り言ですが・・)先日、冨岡町から5か月ぶりに保護されてうちにきた8歳の雌猫は、1,5キロしか体重がありませんでした。本当の骨と皮です。警戒区域は、人がいないので残飯もなくどうやって命を繋いできたのか?今朝がた大下痢をしたので検便したところ、やはりマンソン裂頭条虫の卵がかつて見たことがないほど顕微鏡でみました。カエルを食べていたんですね。人間なら死んでいますね。飼い主は「仮設住宅で飼えるかしら?」と言っています。人も大変なんでしょう。

続報3、 8月30日、柘植さんからのメール。
 大助かりです、またFRWは、食欲のない犬が喜んで食べるのと、コクシジウムの駆除剤が苦い上に30~40日にわたり内服が必要なために、この缶詰をお団子にして中に薬を仕込みます。
パクリと食べてくれて楽に投薬できます。それにしても、今からの心配は、9月に県の捕獲が本格的になるためにさらに数が増えて病気の動物達も多くなることです。第一シェルターは、被災した獣医さんが常駐することになりましたが、問題は、餌が相変わらず支援に頼らなければならないことです。東電、政府の支援が何故でないのか?いつまで、国民に甘えてるつもりなのでしょうか?
※政府にも陳情が必要なようです。

続報4、 9月3日、柘植さんからのメール。
第一シェルターの様子がここにも少し出ています。

続報5、 9月11日、柘植さんからのメール。

皆さんご支援ありがとうございます。
 毎日、処方食、犬用おやつ、猫のトイレの砂と色々届いております。個別でお礼状を書きたいのですが、病院の仕事、荷物の仕分けと忙殺され御礼がおくれています。
シェルターでは、下痢がおさまりつつあり猫の風邪もだいぶ下火になってきました。みな、飼い主さんがわかっている動物が多いようですが、ほどんど避難している状況のために引き取りが進まないようです。今は、まだ暑い日が続きますが、東北の冬はあっという間にやってきます。寒くなる前にそれぞれの飼い主さん、また里子に譲渡される子はそれなりに落ち着いてほしいところです。 
 中で働く方々も毎日一生懸命に世話をして下さっています。動物達が下痢をせずに健康状態が良く維持できれば、、それに越したことはありません。皆様に送っていただいた処方食は、無駄にせずに大切に使われているようで、喜んで食べることとお腹の調子が良いことに御礼を言われております。なお、現金を下さった方の使用用途は、下痢止めの注射液200A,コクシジウムの駆虫薬(トリブリッセン注射液50CC入り2バイアル、トリブリッセン錠480ミリ100錠、)、疥癬治療薬レボリューション250本を購入しました。シェルターの中での治療に使われています。行政からの支援はあまりなく、こうして皆様から送られるもの、一部企業からのご寄附があってのシェルター維持です。県の食品衛生課の皆様も、通常の業務の上にシェルターの仕事、放射線の高い立ち入り禁止区域での捕獲作業と、大変なご苦労をなされています。はやく、シェルターの撤収が望ましいところですが、原発の事故終息を迎え、避難されている皆様がそれぞれの故郷に戻れるまでは、せっかく助かった命を大切に世話をしていくことになります。新たな災害がおきたり、福島の原発事故が終息を見ない前に日常化して、皆様の中で埋没した過去のものになることがとても心配です。
すでにボランティアが先細りになったり、餌の支援がピタッと止まることもあり、そのような時は、少し心配になります。沢山は望みません、少しづつ長いスパンでのご支援をお願いします。

シェルター内での動物の情報も含めボランティア募集の登録等
ここ(福島県動物救護本部)にアクセスをお願いします。

続報6、 9月13日、柘植さんからのメール。

 田中祥子さんからの支援が届いていますが、住所がありません。くれぐれもありがとうとお伝えください。今まで、これ程親切にしていただいたことは経験がなく驚いています。「今の日本人は~」などと悪しざまに言う方もおられますが、とんでもありません!皆様の御好意にはどうお返ししたらいいかわかりません。
皆様、決して生活に余裕がある方ばかりではないでしょうに、荷物の一つ一つを見るにつけ暖かい心が伝ってきて感謝にたえません。動物達に成り代わり御礼を申し上げます。 

続報7 10月6日、柘植さんからのメール

 長い間、御礼も申し上げず失礼しておりました。
8月以来、4頭の病気の猫をみておりました。中には、5か月間に及びまったく餌を与えられずに命を繋いでいたのもいました。
 全頭、回復して無事飼い主さん、里親さんの元に引き取られていきました。
皆様のおかげでシェルター内の動物達は、下痢も良くなり太って毛並もととのってきました。とても可愛くなり里親さんの来るのを待っております。県の動物救護本部のホームページには、それらの動物達の写真が掲載されております。是非一度みて下さい。
 先日、警戒区域から8頭の猫を捕獲してきた方の話では、犬達は、警戒心が強くほとんど捕獲は無理になってきているようです。猫は、搬送中にした便がコオロギとバッタだけの便だったそうです。夏の暑いさ中はカエル、へび。秋に入り捕食は昆虫になりましたが、ほとんど消化されずにそのまま排泄されます。セミを食べていた動物達は、消化不良の下痢に苦しみます。冬をむかえれば、食べ物は何もなくなります。
 それを思うと、シェルターの動物達は、自由はないものの、雨風にもあたらず餌ももらえ、最近は、暖房もいれてもらっており良いとしなければなりません。警戒が解除になっても除染は遅々として進まず、人は、ほとんど戻ることが出来ない状況です。改めて原発事故の、被害の程を思い知らされています。遮二無二、原発に反対するものではありませんが、今の原発推進派は、近視眼的に自分たちの生きている間だけ良ければ良いと考えているのだと思います。でなければ、核廃棄物の処理法が確立されていない、現段階の原子力発電の恩恵だけ受ける、などという自分勝手な利用が出来るわけがありません。福島のものは、なんであれ放射線量を取沙汰され風評加害を受けております。コンクリートの橋、船舶のエンジン、花火、宝石のように美しくおいしい果物・・東京に里親が決まり、都内の動物病院で治療を受け ようとした犬が、具合が悪いのにもかかわらず「シャンプーしてからでないと診ません」と来院拒否、あげたらキリがないほど嫌われて おります。東京の方々の生活、産業、文化を支えてきた電気は、福島のこの現実の上に積まれてきたものではありませんか?
◇年末を迎えて、最近の動き
 民間のボランティア団体による、許可を得ての警戒区域内の犬猫救出は12月の27日で終わりお正月になってしまいました。生きていくのにやっとの動物達に正月も何もないはずですが・・しかし、今日2日も餌置き、勧奨区域の置き去り犬への犬小屋設置へ送り出したところでした。夜の11時にです。飯野のシェルターも休みなしで世話をしております。 生きているものの面倒は一日も休めないのは当然のことですが、最近は、つと考えるに、本当に家も大切なものも動物も放り出して逃げる必要があったのか?また、帰宅をこれほど厳密に規制し放りっぱなしにする必要性はあったのか?お向かいの家の池は最近25マイクロでした。半年前は計測していなかったのでわかりませんが飯館より高いのに我々は、避難指示どころか歯牙にもかけられておりません??逃げてもいないし。
 その庭の無花果は、毎年ハクビシンに狙われてほとんど収穫できなかったのに、今年は、腐れ落ちておりました。ハクビシンはどこへ行ったのか?この原発事故は、本当にどこがどう悪いのか訳が分からなくなりました。政府の無策無能は、語るのもウンザリで私など諦めております。
 そうは言っても動物達だけは、なんとか助けてやりたい思いでいます。今年もシェルター支援は、まだ必要ですが、だいぶ飯野は頭数が減り今110頭になっています。ごん太の隣の犬舎には飯野のシェルターから来た新入りの「じっち」(このあたりの方言で「おらげのじっち」うちのおじいさんの意)新入りといっても骨皮筋衛門の体に認知症、耳は聞こえない・・カルテには、保護時の特徴「衰弱」とあり、下痢吐き気がとまらずに「どうせ死ぬならせめて病院で」とスタッフが連れてきたのでした。
 ごん太には、「夜の介護は頼んだよ」と言い聞かせておりますが、時々ウォ~と意味不明の遠吠えをするために「じっちうるせ~」とごん太が吠えております。じっちは、看取る必要もなくなり、支援でいただいたマイクロファイバーの毛布をフカフカにして一日中湯たんぽを抱いて寝ております。夜病院で最後の見回りをするとき、穏やかな寝息をたてている無防備な姿にホットします。「何も心配ないからね・・」

「最近、氷遊びに凝っているごん太」






ごん太の記録 
 
○ ごん太の記録原発20キロ圏の楢葉町から血だらけで救出された「番犬、ごん太」。献身的な動物病院の手当で奇跡的な回復を遂げました。ごん太を預かる動物病院を支援しています。 まずこれを読んでください。

<ごん太救出の経緯> ※以下は<飯舘村を勝手に応援する会>23.5.21 の署名者のお一人である柘植裕子さんからのものです。柘植さんのご主人は獣医さんで福島市内で動物病院を開業しておられ、今回の震災でも被災した動物の世話をしておられます。

 ●ごん太
柘植裕子(CHOSUN BAND RESEARCH 代表)
 震災以来、何頭になるだろうか?楢葉からレスキューが電話をかけてきた。「犬おねがいできますか?」・・連休明けで手術と外来は、すでにいっぱいだ。「血がぽたぽた落ちるほど出ているんですが」う~ん、たいへんだなと思いつつ引き受けた。昼には犬2匹と猫4匹を積んだ車が到着したが、うちで引き受ける犬は、見てみると酷い。首の周りは、血膿が毛にこびり付き、ツララのようになった先端からも滴り落ちている。臭いも蛆の湧いている独特のものだ。抗生物質を打った程度ではおさまりそうにもない。麻酔をかける外科的処置が必要のようだが、この臭いと、黒豆大のマダニが全身に数えきれない程くっついてるようでは、入院用の犬舎には、入れることができない。
 とりあえず、診察台のわきに、簡易のケージに入れたまま毛布をかけて順番を待ってもらうことにした。しかし、彼の(オスだったので)順番は、夜の7時になってしまった。汚いから最後になったのではない。臭いのだから、早く手当して臭いを取りたかったが、彼は、衰弱しているにもかかわらず唸るし咬もうとするので、麻酔をかけるのに人手が必要なためだ。さて、始めたものの、膿は固く固まり、バリカンが入らない。丁寧に鋏を入れて毛を始末していくと傷口が出てきた。案の定、蛆がわき、溜まった膿がどろっと流れ出てくる。大きな穴が4か所。やっぱり咬まれ傷だ。レスキューの話 では、彼を保護した家の周辺には、愚連隊のように徒党を組んだ犬が4,5匹うろつき、彼は、牛のいる牛舎の藁に隠れていたのを見つけだされたということだ。尻尾も皮膚がぼこぼこになっているので毛刈りをしてみると散々咬まれていた。まるで集団リンチを受けたかのようだ。さて、困った。
 彼の唸りは、怯えからくるものなのか、性質が荒いのか、場合によっては、せっかく傷の処置をしても治るまでの傷洗浄が出来ないかもしれない。ましてや里親のなり手もいなければ、安楽死をしなければならなくなる。皆で悩む・・・しかし、歯を見ると、そう歳をとっているようでもないし、と悩んだあげく、まあなんとかなるか、と最後までしっかりと手術を終えた。朝、彼を診に行くと余程疲れ切っていたのか、まだぐったりとしていた。簀子の下の受け皿を見ると、いかに彼が過酷な環境にいたのかを知ることになった。便が大量にあったのだが、そのほとんどが種もみだった。もみ殻をかぶったままなので当然未消化のまま排泄されていたが、どんなに空腹だったか、どんなにお腹が痛かっただろうかと思うと不憫で涙がでてきた。水を入れてやると、オズオズとしながらもおいしそうに飲んだ。餌は、消化器障害用の処方食を開けてやると夢中になって食べた。なんとなく、彼との距離が少し近くなったような感じがして、「これなら、治療をさせるようになるかも知れない」と安心できた。
 午後は、外に出してやろうと、つけっぱなしにしていた胴輪のリードを引くが、脚をふんばって出ようとしない。まだ警戒心が強いようなので、美味しいもので歓心を買おうと、一時間おきにチーズを一かけ、煮干しを一匹と、だんだんに私を「美味しいものをくれるおばさん」と印象付けるようにした。努力のかいあって、夜には、やっと外に連れ出すことが出来たが、今度は、またふんばって病院に入らない。無理をして咬まれるのも嫌だし、だいたい、震災の翌日に猫に咬まれた傷がやっと治ったところなのに、まったく、お節介なばかりに、どうして面倒なこと引き受けたのだろうと後悔する。夜になりレスキューより電話がある。犬を保護した家のご主人から連絡があったとのことだ。こちらに連れてきたその日に、楢葉に様子を見に行った近所の人が、レスキューの張り紙を見て飼い犬が保護されたことを知ったようだ。飼い主の携帯番号を聞いて、今後の相談に電話をかけた。
 名前を聞くと「ごん太」だそうだ。年齢は6~7歳。生後一週間でもらってきたごん太を哺乳瓶で育てたそうだ。ごん太の怪我の状態を報告すると、突然の号泣。4月21日に楢葉への立ち入りを禁止されるまでは、4~5日に一度は自宅に戻り、10数頭いる牛や鶏、ごん太の世話をしていたそうだ。いつも後ろ髪を引かれながら避難所に戻るのだが、おいて行かれるごん太は、車を追い、その後しょんぼりとうなだれる姿をみて可哀想でならなかったこと。最後の21日は、「もう来ることが出来ないから、かんべんしてくれな・・」と言い、車に乗り込んでも一切ごん太は振り返らなかったと・・夫婦で泣きながら家を後にしてきたことを話してくれた。怪我の様子を聞いた飼い主は、「そんなにひどい怪我をしているなら、いっそ安楽死してくれたほうが・」と言った。しかし、少し努力すれば治らない怪我ではないことを告げると、現在の避難の状況をはなしてくれた。楢葉の自宅なら犬など問題なくいくらでも飼うことができるが、どの程度で楢葉に帰ることが出来るのか、はたして帰郷そのものが叶うのかどうかもわからず、楢葉には、政府からも具体的な話が殆どされていないこと等を考えると、ごん太を引き取ることは、到底出来ないことだと理解できた。飼い主は、声の様子や口調から私とそう変わらない年齢だと思うが、臆面もなく涙声だ。私まで悲しくなり涙声になっていた。
 これ以上引きずると、話が前に進まなくなるので、元気よく「ごん太くんの怪我は責任をもって治します。せっかく一度は助けられた命なのだから寿命を全うさせてやりましょう。可愛がってくれる里親を必ず探しますので、ご自分たちの生活を立て直すことに専念してください。いつでも面会は、できるようにしておきますので」と電話をきった。で、その後のごん太は、というと、きょうで5日めになる。隔離入院室を一匹で陣取っているごん太は、野犬にいじめられたためか、それとも哺乳瓶で育った後遺症か、外に散歩に連れ出しても周囲を見る余裕も外の新緑のにおいもそっちのけで、出すものを出すと、一目散に病院の玄関に戻るや、あっというまに自分の入っている犬舎に滑り込む。呆れるほどの速さで。朝晩の食事以外は、ずーっと眠りこけている。安心して眠っている姿を見ていると、この2か月が余程不安だったのかと不憫に思う。しかし、犬や家畜のこととはいえ、地震、津波の被害だけでも大変なストレスだったが、その上の原発事故は、新たな別れや諦めを無理強いさせている。起きてしまったことなのだから諦めろというのか。当院だけでもこのような話は、ごん太だけではない。明日は、川内村からペットが保護されてくる。やっとだ、2か月も放置されていた。獣医が当番で健康診断にあたる。全部がもとの飼い主のもとに戻れるとはかぎらないし、そもそも、健康であるはずがない・・と思う。(追記)ごん太の家の牛は、黒毛和牛で柵の中に放牧にしてきていますが、周辺に野犬化した犬がうろついていました。ごん太を連れ出したのが6日ですから牛もどうなっているか。
 農家にとっては、大変な財産でもあり、簡単に安楽死と言われても困ります。大動物の安楽死は、簡単に総理大臣が言っていましたが、大変です。筋弛緩剤は、正確に静脈注射にしてやらないと意識がありながら窒息状態にするという点ではかえって虐殺になり、技術も必要で大変です。特に、豚などは、とても力があり凶暴です、保定出来る檻と人員も必要ですし、被災でちりじりになっている酪連や家畜保健所の獣医を集めなければならないし、飯館の無計画避難と同じく無計画安楽死プロジェクトということになりかねません。生きているものに生かされている私たちは、動物に対して感謝と畏敬の思いをもたないと、いつかバチが当たる、すでに口蹄疫などは、そうだとおもっています。命をいただくことに無頓着な政府に呆れます。福山官房副長官は、泣きながら「必ず助ける」と言いました。政治家の軽いウソのつきっぷりに怒っております。豚の畜舎での安楽死など慣れれば見られますが、初めて見る人は、寄ってたかって殺していると感じるかもしれません。獣医にそのつもりがなくても、やり方は、そういうことです・・人が多くの生き物によって生かされていることをもっと実感してほしい。特に政治家のみなさんには。大動物も小動物も、完璧とはいかずとも、役に立っている事をしているのは、ほとんどが民間ボランティアと寄付、自腹でやっているのです。すでに、3か月にもなろうというのに、錦の御旗をかかげるだけで仕事らしい仕事を何もしていない(言い過ぎではない!)政府には、怒りを通り越して、「もういい!あんたらがやらなくても自力でやるっ!」と考えています。
 ほんとうに、愛情が感じられないのです。郡山の被災者が、ボソッと「菅直人というのは、殺風景な男だな・・」と言っていたそうです。 ※上記の柘植さんの文章を私のHPに掲げましたところ、何か出来ないかとの問い合わせを多数いただき、柘植さんに連絡したところ餌や医薬品の支援を受けていただけるとのことでした。そこで支援のお手伝いをすることにしました。

 ≪その後のごん太(平成23年5月22日)
 その後の「ごん太」と動物病院の現状(柘植裕子さんのメールから)
① 田舎では、犬とはいえ愛玩の対象だけではありません。番犬としての役目もちゃんと果たしてきたのです。ごん太は、飼い主から先週電話があり、知り合いが犬を置ける避難所なので面倒を見てもらえそうだ、とのことでした。傷は、まだ完治まで2度の手術をしなければならず飼い主の元にもどるまでは、一月以上はかかります。しかし、飼い主の生活が安定すればなんとかなりそうです。ただし、楢葉ですから、いつ自分の家にもどれるのか?原発が安全宣言をだしてくれるまで終わりのない日々が続きます。ご支援をしていただけるというご提案を素直にお受けしたいと思います。
 立ち寄ってくる動物レスキューや、飼い主がもとの生活に戻れるまで犬を飼育してくれるホストファミリーの存在もあり、餌の寄付は、とてもありがたいと思っております。ご負担をおかけするほどの寄付は遠慮したいと思いますが、ごん太や飼い主さんの惨状に涙を流していただいた方からのお気持ちは、心より感謝してお受けしたいとおもいます。本当に、少しでも結構です。できれば、猫の餌もお願いしたいのです。柘植さんのメールから②<安楽死なんてたんたんと言うな>今回の震災と原発災害は、避難地区などの獣医さんの移転も阻んでいます。面倒を見ている動物の数も多くて簡単に引っ越し先が見つかりません。立ち入り禁止区域で開業していた大動物の獣医(主人の同級生)は、自分の家畜すら捨てざるをえず、那須で個人牧場の雇われ獣医として仕事を始めました。自分の黒毛和牛を放置し、余所の牛を診る気持ちは如何ばかりか・・と。 3号機の真裏なので、MOX燃料が飛散したと、近所中が大変なパニックになったそうです。原爆が落ちたのか?と思われるほどの爆音と爆煙は大変な恐怖で、車の鍵穴に鍵が差し込めないほど動揺したそうです。
 津波にのまれずに少しは家の破損があるようですが、家、診療所、医療機械、家畜もそのままの状態で財産を取りに戻れません。牛は、どうなっているか?こんな人々や家畜を考えると、「陰湿な東電叩きをやっている」と言われても、はい、やめますとは言えません。東電だけが悪いのではないことはわかっていますが、せめて、終息をみるまでは、原発で多くのものを諦めなければならない人と、東電の社員もせめて気持ちを共有してほしい、したふりでもいいのです。もちろん政府もです。総理や枝野さんが、たんたんと家畜は安楽死を実施、と会見で言った時、口蹄疫の時も同じだったと感じました。柘植さんのメールから③<原発事故は犬や猫の運命を変えた。動物病院はみんな救出された犬や猫を預かっているようです>以前、飯館の肥育農家の番犬「たこ坊」(茶色のビーグルの頭がたこ焼きのようだったので) が牛舎で睾丸を蝮に咬まれ、信楽焼きのたぬきの金〇のようになったことがありました。
 熱は出るし、金〇は歩行の障害になるし、と大変でした。10日ほど入院して職務復帰をしましたが、今回の無計画避難指示で、すっかり白髪の爺さん犬になったのに宇都宮の親戚へ養子にだされました。青空の下で放し飼いにされ、日向ぼっこが日課の隠居だったのに、いきなり都会でのつながれた生活を思うと可哀想でなりません。当院で引き取ってやれたら良かったのにと思いますが、うちの病院も犬3匹、猫5匹が入院犬とは別に「居候」になりそうなために無理です。

 ※柘植さんからの情報は以上ですが、今回の大震災、それに原発事故にあたっての被災者や動物に対する日本の対応は、文明国で起こっていることとは到底思えません。発生から70日以上経っても、10万人を超える被災者は体育館の床の上ですし、犬や猫、そして家畜は置き去りです。体育館では多くのお年寄が亡くなっています。置き去りにされた動物たちは、政府の最高指導部によって「安楽死」と発表されました。なんということでしょうか。ふだん、学校でもマスコミでも何かというと「命を大切に」「命は地球よりも重い」などと、安っぽい台詞を口にするくせに、目の前で悲劇が起こっているのに「殺すな!」とも言えないのです。恥ずかしくないのでしょうか。チェルノブイリの原発事故ですら家畜といっしょに逃げたと言われています。いったい、日本の政府はお年寄りや動物を救うためにどんな努力をしたというのでしょうか。それでも政府に代わって、私たちの社会の名誉を守るために多くの方が奮闘されています。奮闘されている方に声援だけでも送りましょう。
(山際澄夫)

飼い主と再会≫平成23年6月2日
 その後のごん太と動物病院からのお礼
6月2日 柘植裕子
皆様のあたたかいご支援を心より感謝しております。お礼状を書きたいのですが、住所をあえてお書きにならない方も多く、ここで深く御礼を申し上げます。
救出し、病気や怪我の治療に力をつくすボランティアの方々にもお配りし、喜んでいただいています。
 ごん太は、先週2度目の手術をして首の怪我が大分縮小しました。肥厚と癒着があり当分は首輪をすることは出来ませんが、しっぽと耳の咬み傷は目立たなくなってきました。
朝の散歩も元気に行くようになりました。犬舎に入る前に暖かいタオルで傷口の汚れを拭いてやると、気持ちが良いらしく体をくねらせて「もっとふいてくれっ!」とばかりに喜んでいます。
もっとも、喜ぶという態度が見られるようになったのは少し前からです。美味しいものを見ても、散歩用のリードを見せてもシッポも振らず無感動。散歩に行けばシッポは股の間に、オシッコはオスのくせにおしゃがみと、まるで「負け犬」のよう。しかし、最近は、2~3本の電柱に片足あげての堂々たるかけションが出来るまでにオスの威厳?を取り戻したようです。
 昨日は、飼い主さんとの再会をはたしました。御夫婦でおみえになり、ごん太に駆け寄り「ごめんね、ごめん・・今日も連れていがんねんだ」と・・外に出て飼い主さんの膝に首をすりつけ頭を何度も撫でてもらい、お土産のオヤツを沢山もらっていました。しばらくぶりの幸せなごん太、飼い主さんは、何度も何度も泣いていました。
 置いてきた烏骨鶏は、ごん太を救出したあとにいなくなっていたようです。野犬が襲ったようですが、野犬とはいえ元は飼い犬、空腹に耐えられなかったとすれば仕方のない事でしょう。牛は、他の群れと一緒になったようだとおっしゃっていましたが、ちょうど今時分、双子を孕んだ牛のお産の頃で、「面倒見てやんないと生めない、どうしてっかと心配で・・」と涙。生めなければ、死んでしまいます。農家にとって双子の和牛のお産は、本当にうれしい出来事です。政府の安楽死の報道を見て泣いたということでした。「サンクチュだかなんだかやるっていう話だけど、うちのも殺さねでもらえっかどうか・・」(警戒区域内の牛、豚を放射線の影響を研究するための実験として、殺さずに飼育、観察、研究する東大農学部の研究構想)とはいえ、早く言えば生体実験なのですが、それにも一縷の望みをかけてるのです。それも、正式な政府の広報でもなんでもなく、知人同士のやりとりでの情報です。原発事故で避難して以来一も「どうすべきか」の連絡もなく、入ってはダメ!だけ。帰れんのか帰れねえのか、先祖からの田畑は、どうなんのか?
 例年なら、田んぼに畑に牛の干し草とやることがいっぱいの時期、奥様は、トラクターから降りる暇もないのに、地震以来何もしていない、ただいるだけだ、これからどう暮らすのかもわかんない・・・私は、ただただ胸がくるしく、かけた言葉は「ごん太は、引き取れるようになるまで面倒みます。大変じゃないし」と、あまり慰めにもならない言葉ですが、これしか言えませんでした。ごん太も大変でしたが、このご夫婦の苦境は、大変なものです。
「原発事故さえなければ」と言いつつ、罵詈雑言や誹謗、恨みの言葉は、一言もおっしゃらないお二人に、人としての品の良さをあらためて考えさせられました。何もなければ、穏やかで幸せな日々をすごしておられ、ごん太も呑気に暮らしてただろうにと。御夫婦が帰ると「く~んく~ん」と一時間ほどごん太は泣いていました。
 今日は、不信任案の採決でした。「時期が来たら辞める」と言ったはずの菅総理「やめない」と今、報道が・・・元鳩山総理も「やめる」と言いながら「やめるのやめた」と言ったっけ。嘘は、下品のはじまり。「死にもの狂いでやる」と言っていた菅さん、都合が悪くなると「死んだふり」すれば良いと?
 ごん太の飼い主さんに爪の垢を貰っておけば・・・
兎にも角にも、未だ体育館にいなければならない方々を何とかできないのでしょうか?国民の心配はそっちのけで、自分たちの心配しかしていない政治家!
不信任案の否決は、自分たちの生き残りをかけた最低な手段だと「国民の大半」は、確信しています。こんな程度の悪い政治家に命を委ねなければならない自分を呪ってしまいます。私は、ごん太の飼い主さんのように悪口を言わないでは、水素爆発してしまいます。
※飼い主夫婦は50代、現在、いわき市の避難所から、自分で借りたアパートに移っているということですが、ごん太に会いに福島市までやってきたのです。 飼い主は牛の肥育農家でした。飼っていた牛は、餌がやれなくなってから牧場に離したそうですが、牛のなかには出産を控えている牛もいて、双子を宿している牛もいるそうです。しかし、人間の手を借りずに出産は困難とかで、どうなっているのか全く分からないと話していたそうです。
また、被爆した動物を生かすサンクチュアリー構想について、「自分のところには全く情報はない。それどころか『安楽死指令』を聞いたときには夫婦で泣いた」と語っていたそうです。(山際)


≪その後のごん太2と動物病院の訴え!≫
人間も動物も殺すな!

病気も含めて里親になってほしい! 

震災は終わっていない

飼い主探すごん太

自分の家を探す救出された犬たち 

   平成23年6月17日  柘植裕子

ご支援いただきまして本当にありがとうございました。
「あれば役に立つ」と膝を打つものから、スタッフへのお菓子、何度も送って下さる方、また、ご自身が 立ち入り禁止区域から東京に避難してきている方まで。
こちらが支援しなければならない立場ですのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、民間シェルターや立ち入りで救出にあたるボランティアの方たちへと上手く配分して喜んでいただきました。
間に合わず、大分死んでいるのもいて哀れでなりません。入れさえすれば家畜も助けられたのにと本当に残念です。
県は、相変わらず「安楽死」の説得に追われています。立ち入りが禁止されていても家畜の世話に 入っている人もいて、その心情をおもんばかれば何が何でも安楽死の説得を続けるのはあまりに非情ではないでしょうか。

この国がこのように残酷な仕打ちをするとは考えもしませんでした。一頭の牛を育てるのに昼夜を問わず世話をし、大変な労力と愛情をかけます。農家にとっても財産ですが、国にとっても財産です。助ける努力より安楽死のほうが手間はかかりません。しかし、助ける努力を充分にしてきたとは思えないのです。
宮崎での教訓は、まったく生かされていません。この政権に学習能力はないのかと思うのは、私だけでしょうか。
動物はおろか人まで見殺しにしたのです。原発の爆発後、救助を待つ動けない人を放置した責任は誰が負うのでしょうか。
助けを待ちながら餓死させた責任は誰にあるのですか。どんなに淋しく悲しかったかを考えてみて下さい。 もし、それが自分であり自分の身内だったら・・・そのような想像力を働かせただけでいたたまれない気持ちになるのが人ではありませんか。
飯館の犬や猫のシェルターでは、中型犬やそれより大きな犬が相当数います。健康管理(血検やワクチン接種など)はされていますが、ケージレストのためストレスになっています。いままで、自由にされていた動物達が多く、動きを拘束された状態が長く続けばいつまでも健康ではいられません。それも一月なのか一年、それ以上なのか・・
これからの支援は、病気を含めてその動物達の里親になっていただくことです。里親を募集すると、「病気がないか血液検査をしてほしい」「できれば純粋種が・・」「避妊去勢したのがほしい」「可愛いのを選びたい」と言うのです。
こんな事態ですから心や体の傷も含めて癒してやってほしいと思うのですが、これでは、ペットショップで買って下さい、と言いたくなります。
震災の記憶は薄れつつあるのだと思いますが、福島は、まだ終われないでいます。東京の人達が線量の高さを色々と取沙汰していますが、福島では、「そんなで騒いで、オレらはなじょすっぺ、死んちまうべ!」霊山など避難勧奨?
「なんだべ、それ。出でも出ねでもいい?早く言ってくんねど困っぺ」・・・今日、6月17日の参院(http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php)で森まさ子議員が、スピーディーのデーターを「知りながら出さずに子供たちを被爆させた・・」と言うくだりが耳に入り、いっきに血圧が上がってしまいました。
まだ2歳と生まれて3か月の孫が甲状腺癌になることはないのか、被災地からくる動物の血液検査の結果が総じて悪いのは、劣悪な栄養状態と環境だけのせいなのかと毎日疑っています。動物は、ライフサイクルが人間の約十分の一です。繁殖も短期間で代を重ねるので、催奇性や発癌率は早く影響が観察できます。
それを、観察していくつもりでいます。
ゴン太の近況は、傷は大分小さくなり5センチ程になりました。まだ、皮膚がついていませんので首輪が出来ない状態です。
だいぶ長い距離を散歩出来るようになりましたが、ごん太に限らず被災地から来た犬たちの癖に気が付きました。
無表情、尻尾が垂れてる、外へ出たがらない、当然散歩が嫌い、住宅街では、一件一件玄関の匂いを嗅ぐ、これは、自分の家を探しているのではと見えるのですが、後姿が可哀想になります。ごん太は、飼い主さんに似た人が通ると匂いを嗅ぎにそばに行こうとします。面会の時に飼い主さんが駐車した場所は、しばらくは散歩のたびに立ち止り
周りを探していました。
格別に可愛がられたりもせずに番犬の役目は果たし、たまにホームセンターで買ってもらったオヤツをもらい、時々うるさく吠えて「しずかにしろっ!」なんて怒られても、それなりに満足な毎日をすごしていた犬たちばかり、それでも飼い主さんを探す姿を目の当たりにすると震災にともなった原発事故のまねいた不幸は、あまりに多くて語りつくせません。
未だ避難所から自分の家に帰れない方たちや、期限のない移住を余儀なくされた方々が普通の生活に戻れるまでお役に立ちたいと考えています。
ごん太も飼い主さんがもとの生活にもどれるまでここでお預かりするつもりです
が・・・いつ?


警戒区域・立ち入り禁止区域で動物は・・・
<「すまねぇ 牛と最後の朝」>(読売新聞5・23夕刊)
[ズームアップ]大震災 「すまねぇ」 牛と最後の朝
2011.05.23 読売新聞夕刊
「この牛も、あの牛も、ずっと育ててきたんだよ」
18日早朝。佐藤照子さん(56)は、食肉処理場に連れられていく乳牛たちから目を離
せなかった。覚悟を決めていたつもりでも、気がつくと涙があふれていた。
福島県飯舘村で長年、夫婦で酪農を営んできた。その平穏な暮らしを奪ったのは、東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故。村は計画的避難区域に指定され、原則として村民は全員、今月下旬までの村外移転を求められている。佐藤さん夫婦の移転先はまだ決まっていない。「まずは20頭の乳牛たちをなんとかしなければ」。
この日は、このうち8頭の食肉処理が決まった。「私らの子どもみたいなもの。どうして
こんなことになっちゃったんだろう」
53年間酪農を続けてきた同村の中島好元さん(67)も、手塩にかけて育ててきた乳牛18頭のうち11頭を手放した。酪農の他にも野菜、花の栽培や米作りも行ってきたが、「放射能のせいで全てを失った」。がらんとした牛舎で悔しそうにつぶやく。
村は、「飯舘牛」のブランド名の肉牛でも有名だった。11日には、村とJAそうまの共催で肥育・繁殖農家向けの説明会が行われ、約250人が集まった。「補償金額や仮払いの時期は」「避難に伴う精神的苦痛の算定は」。質問は相次ぐが、明確な答えは返ってこない。出席者にはいらだちだけが募った。村やJAが実施したアンケート調査では、村内の繁殖農家の7割を超える157戸がすでに廃業を決めたという。
昨年9月、NPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟が認められたばかりの飯舘村。だが、その美しい村の牧草地には今、牛の姿は見えない。田植えの時期を迎えた田にも水はない。戸外に響き渡っていた子どもたちの笑い声も消えた。
(写真と文 田村充 上甲鉄)
写真=食肉処理のために乳牛8頭を手放す朝。いつも通りに搾乳して餌をあげると、酪農家の佐藤照子さんは、牛の首にはめていた金具をそっと外した。「悲しいというよりも、悔しい。放射能さえなければ……」(18日、福島県飯舘村飯樋で)
写真=中島好元さんの牛舎の片隅には、妊娠している牛7頭の出産予定日が記されたノートが置かれていた。「せめてこの牛たちだけは、なんとしても生かしておいてやりたい」(16日、飯舘村比曽で)
写真=飯舘村の中でも放射線量が高い比曽地区。牛舎の背後の丘陵地には牧草地が広がり、手入れの行き届いた美しい緑が午後の日差しを浴びて輝いていた(18日)
写真=「ここ(飯舘)でなかったらもっと生きられたのに。牛たちにはすまねぇことをした」。佐藤照子さんの夫・美知夫さん(55)は、乳牛たちがいなくなった牛舎に立ちつく
し、肩を落とした。「これで終わり。廃業だ」(18日、飯舘村飯樋で)


≪殺処分が始まった≫
(6月6日)
開始された安楽死!

        6月7日  柘植裕子

大動物の安楽死が始まってしまったようです。
県の畜産課に問い合わせた方がおられるようです。早川日記というブログをしている方から連絡をいただきました。
弱っているのに限り、執行したようですが、少しつらいです。主人が、また宮崎の時と同じように短絡的な殺処分をして!と朝から怒っていましたが・・いつから、日本人は、楽な道、楽な道を選んで歩くようになったのか?非常時だから仕方ない?
たぶん、人に対してもそうなのでしょうね、だからいつまでたっても、ず~っとそのまま。
飯館が「までい」の心で丁寧に積み上げてきたもの、その精神を土足で踏みにじる政府のやり方には、日々悔しく無念な気持ちで一杯になります。
福島の飯館の動物を預かるシェルターで二匹の猫が死にました。一匹は、7人のお子さんがいるご家庭からきた猫でした。
大家族が広い広い飯館の家から、福島のせまい住居で避難生活を余儀なくされた悲しい結末でした。
飯館にいれば、広い草むらでお昼寝をして、のどがかわけば田んぼの水を飲み、虫とたわむれるのんびりした猫生活を満喫していただろうに・・
引っ越しのドサクサと環境の変化についていけなかったのだと思いました。ボランティアの方も、朝に夕に遠くのシェルターから忙しい中を通い続け「なんとか助けてあげたい」とおっしゃっていました。彼らの努力にも報いてあげたかったのですが力が及びませんでした。
普段なら病気が少なくなる季節なのですが・・・
原発の周辺から連れてこられた犬猫の避妊手術を沢山しておられるボランティアの獣医さんが「手術の時、腹腔内の色が悪い、どうしてなんだろう?」と言ってられたそうです。当院も同じ感想を持ちます。血色が悪いのです。麻酔の覚醒も良くないし・・それが放射能の影響なのか、ストレス、栄養状態のせいなのかははっきりしませんが、ライフサイクルの短い動物達に何かの変化が出始めているのかと危惧しています。
しかし、動物とはいえ、原発での避難や立ち入り禁止がなければ命を落とす理由はまったくないわけですから、これだって補償の対象になります。無給で働くボランティアがいつまで続けられるか、ほとんど料金をいただかない施療がいつまで続けられるか、冬になれば、氷点下になるシェルターの暖房は?と、国が補助をしてくらなければいつまでやれるのか?
とにかく、仮設住宅でもアパート形式の住宅でも小型犬、猫は一緒に暮らせるようにすれば多くの問題は解決します。
大型犬だけならば格段に頭数は減ります。仮設でも中型犬なら玄関につなげば問題はないはずです。動物がダメな人は、飼わないエリアを作ればいいだけじゃありませんか。今時、動物はダメ!なんて、この国も先進国ではなかったのですね。
毎晩、眠れません・・・
 余談ですが、昨日のタックルで「東電だからトウゼンだよね、なんて・・・笑」ハワイアンズにいた避難者の顔が凍りついたのに気付かないのでしょうか?住民の怒りに対して、面倒な政治的話法で煙に巻くような説明、原口、長妻両議員にも怒りが込み上げてきました。口下手な住民には上手い反論はできません。町長は、怒りで顔が紅潮していました。同じ気持ちになりました。


処分現場情報 

早川ブログ
農水省の安楽死処分方針

<牛は死に絶えた①byごん太を救出したブログ主>(6月25日)
<牛は死に絶えた②犬や猫は・・>(7月12日)

<殺処分と闘う1>
(6月30日)

 ごん太の近影

〇平成25年元旦
  散歩するといろんなものをつけてきます。




















〇平成24年1月2日、「最近、氷遊びに凝っているごん太」









〇8月22日「首の傷が癒えました」「わがまま御坊ちゃんになっちゃいました」雨がいやで散歩に行かず、診察室でゴロゴロ甘え、背中掻いてのお腹撫でろのとわがまま… お坊ちゃまになったようです。ごん太の首の傷がやっと先週ふさがりました。さて、どうするか・・。飼い主さんに連絡するか。正直なところ悩みます。フィラリアの予防も始めたし、肝臓、前立腺肥大の治療もしているし中断するのは残念です。引き取ると言われれば彼らの負担も心配ですし、ごん太と飼い主のいた楢葉町は、当分、帰れない可能性があります。田畑の線量が高く耕作が出来るのかどうか?                        柘植裕子




















〇8月4日、福島市の動物病院を訪問しました。ごん太は元気そのもの。嬉しそうに病院夫人に甘えていました。















〇写真下、犬舎のハナちゃん(上、やはり原発周辺から救出)とごん太




















〇7月13日、体を洗ってもらって大喜び




















〇<救出直後のごん太>

2012年3月20日火曜日

大成功!!Hiroco Ponissiさんのジャズライブ!(4月28日)




                              
4月28日(平成24年)
CIAO♪(*^∇^*)☆
お世話になります☆
本日のチャリティライブ&セッション、心暖かいお客様が大勢いらして下さり、本当に暖かいよい会になりました(*^∇^*)
大網さん、大変お忙しい中、いらして下さり、ゴンタくんのお話しもしてくださり、本当にありがとうございました☆☆☆お疲れさまでしたm(__)m
本当に関心のある方々が沢山いらして下さり、皆様とても熱心にお話しを聞いて下さり嬉しかったです☆
合計42名様いらして下さり、入場料3、000円×42=126、000円でしたが、お店に借り賃の50、000円を支払いました。
そして、『40人以上は一名につき1、500円支払ってください』、と突然言われ、結局二名分の3、000円を追加で支払うことになり、73、000円の収益金となりました☆☆☆
今回、私と主人は勿論ボランティアで、ピアニストの杉山貴彦くんもボランティアで出演してくれました(o^-^o)ドラマーの今野大輔さんとベースの土谷周平さんへは、ミニマムとして楽器の運搬代を主人からお支払いしました(o^-^o)♪
売り上げとば別に寄付の箱には、なんと122、050円も入れてくださいました!!!
開店と同時にいらして、コンサートは聞けないですが、猫ちゃんのために使ってください、と女性が寄付金を入れてくださいました☆
そして私の近所の外猫ちゃんお世話仲間のマダムお二人から、『足が悪くて当日は行けないけど入場料を寄付したい』と6000円届けてくださいました(o^-^o)
それからいつも愛用している化粧品会社で募金箱を設置して下さり、集まった10、000円を柘植先生に直接現金書留でお送りしますとメールをいただきました(o^-^o)
また、別途、中野の男性からは、動物病院に直接現金書留で寄付金をお送りするとのことでした。とにかく、今回の寄付金合計は、目標額の10万円を越え、倍以上の、合計211、050円になりました\(^O^)/全額をお送りさせていだきます。
45席しかない小さいジャズ倶楽部なので、どうなることか心配でしたが、本当にちょうどぴったりの人数のお客様がいらして下さり良かったです。
今回はとりあえず第一弾でしたので、探りながらやってみましたが、本当に暖かい方々のお気持ちに感激しました。
日本人は素晴らしい!、と思いました☆(o^-^o)☆
Hiroco Ponissi

※写真上3枚目は、福島の避難区域の犬猫の現実を報告する横浜の大網さん。ごん太を最初にみつけ福島の動物病院に運んだ女性です。

「今日の福島犬猫支援ジャズライブの写真を送ります。ジャズライブはとても楽しかったですよ。
 友人達にも好評でした」(千葉N・Y)
      



  Hiroco Oucci Ponissi 
CIAO♪(*^∇^*)☆
皆様、お元気ですか?
4月28日(土)の東京倶楽部・水道橋店にての、

《福島の犬&猫を助けるためのチャリティJazzライブ&セッション》は以下の要領で行います。♪

時間は、午後1時半ドアオープン、
ファーストステージが午後2時~
途中、休憩時間に、福島で犬&猫の救助活動をなさっている大網さんからニュースでも有名になった福島で救助された犬のゴンタくんのお話しなどをしていただきます☆

セカンドステージのセッションは3時10分くらいからの予定で、終了は4時過ぎの予定です♪
ミュージックチャージは、ドリンク飲み放題つきで3千円になりますm(__)m

収益金全額から、東京倶楽部に借り賃を除いた、残りの金額は福島の獣医師さんに寄付させていただきますm(__)m☆
◆出演:は
ボーカルHiroco Ponissi and Dario Ponissi
ピアノ杉山貴彦
ベース土谷周平
ドラム今野大輔
素晴らしいバンドメンバーです☆(*^∇^*)☆
◆東京倶楽部・水道橋店
の住所は、千代田区神田駿河台
2.11.16.さいかち坂ビルB1
電話0332936056
JR水道橋駅から徒歩5分です。
◆サイトに地図がありますのでご確認下さいませm(__)m☆
http://www.tokyo-club.com/about/
\(^O^)/♪
私達もワンちゃん&猫ちゃん達のために一生懸命頑張ります☆
お楽しみいただけましたら幸いです☆(^O^)v♪
よろしくお願い致します☆☆☆
GRAZIE♪
Hiroco and Dario Ponissi


Hiroco and Dario Ponissi
 さんちのシロクロ猫。
 「福島のねこちゃんを助けたい」と言っています。





〇《福島の犬&猫を助けるためのチャリティジャズライブ&セッション第二弾》8月28日 
心暖かい皆さんにお集まりいただきました☆


大網様&ボランティアスタッフの皆様☆

CIAO♪お世話になります☆
昨夜は大変お忙しい中《福島の犬&猫を助けるためのチャリティジャズライブ&セッション第二弾》にいらして下さり本当にありがとうございました☆
私達の結婚25周年記念のお祝いに美しい花束までいただき、恐縮でしたがとても嬉しかったです☆(=^_^=)☆
今回は私達が引越しがあったり、すみだストリートジャズフェスティバルに出演したりでバタバタしており、ちゃんと宣伝ができず、あまりご協力できなくて本当にごめんなさいm(__)m
夏休みということもありお客様は前回の半分くらいでしたが、心暖かい方々がお集まり下さり嬉しかったです☆
福島の現状のお話は、きっと皆さんの心に届いたと思います☆
素敵なオリジナルバッグのオークションもありがとうございました☆
もっと時間をかけてちゃんとメディアのお力もお借りしてしっかり宣伝&告知して、年末か年始に、第3弾を企画したいと思います☆
大網避難所の皆さんは本当に天使だと思っています☆☆☆
大変でしょうが、どうかこれからもご自分達の健康も大切になさって、頑張ってくださいませm(__)m
私は本当に微力ですが、これからも影ながら皆さんのお力になれるよう頑張ります☆
では本当にありがとうございました☆
GRAZIE♪(*^∇^*)♪
大内ポニッスィ弘子&カバリエレ☆ダリオ・ポニッスィ

《福島の犬&猫を助けるためのチャリティライブ&セッション第二弾》
8/28(火) 夜7時半から、高田馬場ディグライト♪
(P杉山貴彦、B栗田俊宏、D今野大輔)
この日はダリオ氏と私の結婚25周年記念パーティーも兼ねています☆
ダリオ氏とデュエットで歌いますので、いらして頂けましたら嬉しいです♪
ミュージックチャージは、投げ銭&寄付金システムにさせていただきますm(__)m

2012年3月10日土曜日

牛が生きてきた!ごん太の飼い主の牛も!

福島県の楢葉町に行き、牛に餌やりのボランティアをしている川崎市在住の「けいちゃん」とメールを交換し、楢葉町で警戒区域で何が起こっているのか質問しました。

【4月9日、】
<お返事、遅くなりました申し訳ありません。
警戒区域では、まだ犬猫の他、家畜が残されています。特に家畜は政府の殺処分の指示により、安楽死とは違う方法で殺されています。それを畜主たちが、どんな気持ちで見ていたのか。
一度、圏内の様子を見に来てくださいませ.

現在60頭の牛がいます。
目的は「生きる事」・・・長年にわたって命をささげてくれた牛たちを無残に殺したくないという畜主さんが多くいました。

運営主体・・・被災した牛たちを餓死させたくない個々のボランティア+楢葉の畜主。震災後原発から20キロが警戒区域に指定され住民は避難していき、残された家畜は多くが餓死しました。それと同時に政府からは殺処分の指示が出ました。殺処分に同意した畜主さんは弱った家畜を見て「いっそ殺してくれろ」と次々に同意しました。震災後一年が過ぎ、疲れ切っている畜主さんに政府から、さらに殺処分の指示が。多くの畜主が殺処分に同意。同時に牛を飼育していくという「生きがい・仕事も取り上げられました。」畜主は無気力になり鬱になっていきました。
生活の糧にならなくなってしまった牛なのに、「生かせる牧場が出来た」世話をする農家さんの顔に笑顔と元気が・・。
思わぬ副産物。牛を助ける事は被災された農家さんをも元気づける事に繋がっていました。」>

【4月10日】
質問です。
①、なぜ警戒区域なのに飼育できるの?
ボランティアは入れるの?
>この一年、牛は畜主さんが逃げるときに放した牛は草木を食べて生きてきました。
牧場に繋がれた牛は餓死しました。
ボラは畜主さんに降りる許可された車で一緒に警戒区域に入ります。
②ほかにも生きている牛はいるの?
警戒区域に目を盗んで餌をやっていたの?
>殺処分されているとは言っても圏内には放浪している牛がまだいます。それに子牛も生まれています。
牧場の草を食べて生きてきたようです。
圏内でも仕事をしていた人(牧場・事業)には許可が出ます。

③殺処分は、野生化した牛の銃殺でしょ?
 >色々なうわさがありますが、方法はよく分かっていません。アルカディアの畜主は注射3本と言ってました。

④殺処分の同意って、同意しない人もいてずっと続けてきたんですね。
はい、町の説明会は殺処分に同意を求めるものでした
楢葉では12月にあって同意していない農家さんも9割が同意してしまって、根本畜主は「孤立無援」と肩を落としていました。埋葬場所も決めていました。
  
⑤しかし、サンクチュアリっていっても数万頭が殺され、数十頭ってわけですか?
 >いま数の把握は出来ていませんが楢葉にもまだいると聞いています。富岡にもいますし、浪江にはM牧場に300頭浪江は今週に殺処分が進むと聞いています。

 ⑥国会では1000頭ぐらいいると聞いたが。
 >そのくらい、いると思います。楢葉町でも放牧された牛がまだいると畜産課は言ってました。
以前は、どこでも見えた牛がいまはいません。それでもいるらしいのです。

【4月7日】
≪牛のなかにはごん太の飼い主の牛もいます≫
ご無沙汰して申し訳ありません。
南三陸の事も気になりながらも、飯館の犬猫の給餌に入り、いまは20キロ圏内楢葉町の牛さんたちのボランティアをしています。
  
奇しくも、楢葉の牧場で知り合った農家さんは、ごん太の、お父さんでした。
ごん太の家にも行って、ごん太がどこに住んでいたのかも見てきました。楢葉の白鳥が飛来する湖を眼下に、ごん太のハウスがありました。
一目で、ごん太がどんなに可愛がられていたのか分かりました。私が思っていたのとは違って、農場の片隅に飼われていたわけではなく家族の住む母屋のを目の前に、ごん太は暮していたのです。どうしたら、この家にボランティアが入って行ったのかも分からないような場所にありました。あそこから救助された、ごん太は本当にラッキーな子です。

楢葉の牧場には、ごん太の家の牛さんが殺処分にならずに、のんびり暮らしています。
その牛さんたちにエサをあげるために、毎週、楢葉に通っています。
明日も行くんです。

【4月15日】
≪ごん太が住んでいた小屋≫



ごん太のハウスの写真添付しました。078は見にくいですがごん太のハウスの向こうに湖が見えます。白鳥が飛来する11月には湖が真っ白になったそうです。
080は、ごん太ハウスです。東京から見たら、ぼろに見えますが震災後一年が過ぎてもしっかりしています。ごん太の便からは「種もみ」が出てきたと柘植さんが書いていらっしゃいました。このハウスのクッション代わりに飼い主さんが敷き詰めていたと思われます。
この地方では別格の犬小屋と思われます。 そして、ごん太ハウスの入り口には「出入口」というプレートが貼ってありました。(川崎市 N・K 写真も)
県内の動物の悲惨な現実です。(注意 悲惨な写真です!)

2012年1月10日火曜日

元の飼い主を探しています!



【元の飼い主を探しています】(平成24年1月)

昨年8月、南三陸町の志津川中学避難所が閉鎖されるときに千葉市のN・Yさんが救出したアメリカンショートヘアのオス猫の「りくちゃん」です。避難者の方が餌をやっていたようです。救出時に首輪をしていました(写真の首輪とは違います)ので飼い主がいたんだろうと思います。津波を逃れて避難したようにも思えます。志津川中学や災害FM局に張り紙をしたりしましたが、連絡がありません。何か情報があればご一報ください。

 

【里親を探すことにしました】
 (平成24年5月8日) 


千葉市のN・Yさんが昨年夏から飼っていましたが先住猫と折り合いが悪く、可愛がって<
くれる人がいればということです。下のような条件がありますが、希望者がいましたらご連絡ください。
 1、南三陸町の被災猫であり、飼い主は不明2、糖尿病を患っているが、現在はインシュリン治療と食事療法で離脱する可能性が出て来たこと3、オス猫で気性が荒いので、できれば一頭飼いが望ましい4、アメリカンショートヘアという品種の猫なので、人間にはとっても懐きます。
連絡先はこちらです。


【りくちゃん近影】(平成25年8月)
お陰さまでりくちゃんは元気です。おなかもふっくらしてきましたが、先住猫との折り合いは相変わらずよくないそうです。